ノルドハウゼン
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紋章地図

基本情報
連邦州:テューリンゲン州
郡:ノルトハウゼン郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度30分18秒 東経10度47分28秒 / 北緯51.50500度 東経10.79111度 / 51.50500; 10.79111
標高:海抜 185 m
面積:105.27 km2
人口:

40,563人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:385 人/km2
郵便番号:99734
市外局番:03631
ナンバープレート:NDH
自治体コード:16 0 62 041
市の構成:12 地区
公式ウェブサイト: ⇒www.nordhausen.de
市長:カイ・ブーフマン (Kai Buchmann)
郡内の位置

ノルトハウゼンにあるローランドの立像ノルトハウゼン北駅の駅舎(2003年)聖十字教会の大聖堂ノルトコルン社のコルン製品をかたどった広告

ノルトハウゼン(Nordhausen)は、ドイツテューリンゲン州にある、ハルツ山地南端に位置する人口約45,000人の都市で、ノルトハウゼン郡の郡庁所在地である。かつてはたばこ産業で知られ、今はノルトコルン・ノルトハウゼン社が製造販売する各種の蒸留酒(コルン)、とくに「ノルトハウザー・ドッペルコルン」ブランドが有名である。
歴史

この都市は、927年5月13日の東フランク王ハインリヒ1世の書類の中で初めて公式に言及されているが、この土地の初期の村落は、785年ごろまで溯る。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は1220年にこの都市を帝国自由都市とし、さらに1430年にノルトハウゼンはハンザ同盟に加盟した。1500年には、ニーダーザクセン帝国クライスの一部となり、その同じ年あたりから発酵させた穀物酒が作られ始め、それは「ノルトハウザー・ドッペルコルン」の名前で有名になった。1523年、この年にトマス・ミュンツァーがしばらく滞在し、宗教改革がノルトハウゼンへともたらされた。17世紀のノルトハウゼン

1648年のヴェストファーレン条約の後、ノルトハウゼン周辺の多くはブランデンブルク=プロイセンの一部となったが、この都市そのものは独立したままであった。ナポレオン戦争の最中の1802年8月2日に、プロイセン軍がノルトハウゼンを占領し、この都市は、帝国代表者会議での帝国自由都市としての地位を失った。次いで、1807年に創設されたヴェストファーレン王国の一部となった。ナポレオン・ボナパルトの敗北後、ノルトハウゼンは、1816年に創られたプロイセン王国のザクセン州に編入された。ノルトハウゼンは、1882年から1950年まで独立市であった。

1866年に、ノルトハウゼンはハレと鉄道で結ばれた。

コーンシュタイン山にあるV2ロケット工場「ミッテルヴェルケ」(中央工場の意)へ労働力を提供するために、第二次世界大戦中にナチス・ドイツミッテルバウ=ドーラ強制収容所が町の郊外に置かれた。1945年4月3日と4日に、町の4分の3がイギリス空軍の爆撃で破壊され、この時、約8,800人が死亡した。1944年8月24日早く、作戦568で11機のB-17が好適な目標としてノルトハウゼンの飛行場を爆撃した。[2]1945年4月11日に、アメリカ軍がこの都市を占領し、7月2日赤軍が引き継いだ。

ノルトハウゼンは、1949年から1990年まで東ドイツに属し、エアフルト県の管轄とされた。1990年のドイツ再統一の後、ノルトハウゼンは、再び創設されたテューリンゲン州の一部とされた。その後、往時を復元した旧市街が、再建されつつある。2007年12月1日にペータースドルフ (Petersdorf)、ロディスハイン (Rodishain)、シュテンペダ (Stempeda) の各自治体がノルトハウゼンに統合された。
近況

ノルトハウゼンは近年、大きな労働争議のために国際的ニュースを提供している。2007年7月10日以来、Biria自転車工場(Bike Systems GmbHの子会社)の135人の労働者が工場を占拠しており、生産を再開して消費者や小売店に直接自転車を販売している[3]
主要観光地

ローランドの17世紀の立像:市役所の外壁にあり、街の象徴とみなされている。

聖十字教会の大聖堂:10世紀中ごろに建設された教会を起源とする。1220年に、その教会が大聖堂へと改造された。この建物は、後期
ゴシック様式の身廊を備え、一方で塔、地下室、回廊はロマネスク様式である。

フラウエンベルガー教会:ロマネスク様式の教会

ペトルス塔:1945年に破壊された、14世紀の教会の残存している塔

クンストハウス(芸術の家)・メイエンブルク:20世紀初期のユーゲント・シュティールの村で、現代芸術の小さな美術館がある。

劇場:1917年建造

交通

ノルトハウゼン駅 - 2022年1月現在、
ドイツ鉄道の快速列車(RE)・普通列車(RB)が停車する。

ノルトハウゼン市電 - ノルトハウゼン駅北側の駅前広場から、市内各所へ連絡している。


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