ノルウェー十字軍
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ノルウェー十字軍
十字軍 (第1回十字軍後)中

シグルズ王の出航(King Sigurd sails from the country)、 イェールハルド・ムンテ画。

1107年 - 1110年
場所イベリア半島バレアレス諸島パレスチナ
発端イスラム教徒と戦うキリスト教徒の救援
結果ムスリム勢力などに対する各地におけるノルウェー軍の勝利、幾つかの十字軍国家形成の手助け
領土の
変化シドン卿領(英語版)形成

衝突した勢力

キリスト教徒: ノルウェー王国
エルサレム王国
ヴェネツィア共和国

イスラム教徒: ムラービト朝 ファーティマ朝海賊
指揮官

シグルズ1世(英語版)
ボードゥアン1世
オルデラッフォ・ファリエル(英語版)
戦力
ノルウェーs:
~ 5,000名、ガレー船60隻[1]不明
被害者数
不明イベリアの2個町村が消滅。その他海賊、敵対勢力、民間村落を含め多数殺害、略奪。










十字軍

1291年以前

第1回

1101年

ノルウェー

ヴェネツィア

第2回

第3回

1197年

第4回

第5回

第6回

バロン

第7回

第8回

第9回

1291年以降

スミルナ (1343?1351)

アレクサンドリア (1365)

サヴォイア (1366)

マーディア (1390)

ニコポリス (1396)

ヴァルナ (1443)

オトラント (1481)

北方十字軍

ヴェンド (1147)

スウェーデン

カルマル(1123)

1150年

1249年

1293年


リヴォニア (1198?1290)

プロイセン (1217?1274)

ノヴゴロド (1241?1242)

リトアニア (1283?1410)

民衆十字軍

民衆 (1096年)

少年 (1212)

羊飼い (1251)

貧者 (1309)

羊飼い (1320)

対キリスト教徒/異端十字軍

ボスニア (1235?1241)

アルビジョア派 (1209?1229)

アラゴン (1284/5)

ディスペンサー (1382/3)

フス派 (1419?1434)

レコンキスタ (718年-1492年)

バルバストロ (1063)

バレアレス (1113-1115)

ナバス・デ・トロサ (1212)

ノルウェー十字軍はノルウェー王シグルズ1世直々に率いられた、第1回十字軍の後の1107年から1110年にかけての十字軍[2]。シグルズは聖地エルサレムに十字軍として向かった最初の欧州の王であり、戦闘中に死去しなかった。ノルウェー十字軍の各所での行動は以前のヴァイキングの行動に類似しているが[1]、キリスト教的目的もある程度達成している。
エルサレムへの旅シグルズ王の出陣風景 (イェールハルド・ムンテ作 1899年)

当時のノルウェー王国は三人の異母兄弟が共同統治を行っていた状態であった。シグルズ王とオイステイン王は、どちらが十字軍を率いるかで長く議論したが、父のマグヌス3世と同行して外征経験が多かったシグルズが担当することとなった。



ブリテン島 (1107年-08年)

シグルズとその部下は1107年の秋に60隻の船とおおよそ5000人の兵でノルウェーから出航した[1]。秋の内にノルウェー十字軍はヘンリー1世王統治下のイングランド王国に到着した。シグルズと部下は冬の間イングランドに留まり、1108年の春に再び聖地へと出航南下した。
イベリア半島 (1108年-09年)ヘイムスクリングラによるシグルズ1世のエルサレム、コンスタンティノープルへの道程(赤線)とその後の帰還(緑線)。

数ヵ月後、ノルウェー十字軍はイベリア半島北東部のガリシア王国(Galizuland)のサント・ジェームス(Jakobsland)[3]に到着し、ここで、彼らは地方領主によって冬の間の滞在を許された。しかしながら、冬が来ると食糧が欠乏し、領主は食糧と物品のノルウェー人への売却を拒んだ。このためシグルズは軍を集めて領主の城を攻撃し、できる限りの略奪を行った。

その後の道程でガレー船の大海賊船団と遭遇したが、シグルズは海賊の船に直進し船を強襲した。その後、海賊を殺し払い船が空になると、海賊の船8隻を奪った。

さらにその後、ムスリム支配下のアル・アンダルスにあるシントラ(スィントリエーSintre[4]、現在のポルトガルシントラまたはより海岸線に近いコラレス(英語版)に関連すると考えられる)と呼ばれる城(英語版)を襲撃し、キリスト教への改宗を拒むすべての人々を殺害した。さらにイベリア半島のキリスト教徒とムスリムの境界であり、半数がクリスチャン、半数が異教徒とされるリスボンへ到着し、ここでも戦闘を行って勝利し、財宝を収奪した。その後、アルカッセ(Alkasse、恐らく現在のアルカセル・ド・サル[3])の町でも戦闘に勝利し、多数の住民を殺害し、町は無人になったとされている。ここでも多くの財宝を収奪した。
バレアレス諸島 (1109年)バレアレス諸島。もっとも大きい島が、マヨルカ島。

ジブラルタル海峡(ノルヴァスドNorfasund[5])を通過する際に再び海賊に遭遇し勝利した。さらに地中海(ギリシャ海[6]Griklands hafi)周辺のサラセン人の領土を目指し[3]バレアレス諸島に到達した。バレアレス諸島は当時キリスト教徒には奴隷売買の中心地、海賊港としてしか知られていなかった。


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