ノルウェーの国旗
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ノルウェーの国旗

使用市民旗 ?
比率8:11
採用1821年7月13日(1898年)
デザイン赤地の縁取りがなされたスカンディナヴィア十字
デザイナーフレドリック・メルツァー(英語版)



使用政府用旗、軍旗 ?
比率16:27

ノルウェーの国旗 (ノルウェー語 (ブークモール): Norges flagg、ノルウェー語 (ニーノシュク): Norske flagget)は、赤地の縁取りがなされたインディゴブルースカンディナヴィア十字が描かれた旗。

?現在の国旗(縦横比2:3の別タイプ)

歴史

最初期のノルウェーの旗がどのようなものであったか、確かなものはない。それは、古代ノルウェーにおいて、"国"が旗を掲げることがなかったためである。ただし、特に戦争において王や君主は旗を掲げていた。オーラヴ2世は、Battle of Nesjarにおいて、白地に大蛇の描かれたマークを用いていた。これ以前にも、カラスドラゴンの描かれたものが使用された。マグヌス1世は、オーラヴ2世と同じマークを使用している。ハーラル3世はカラスの旗を使用した。この旗は、9世紀から11世紀にかけて、様々なヴァイキングの首領や、スカンディナヴィアの君主も使用していた。インゲ1世は、金地に赤い獅子の描かれた旗を使用した。スヴェレ・シグルツソンは、赤地もしくは金地にの描かれた旗を使用した。ノルウェーの国旗として語られることのある最初期の著名な旗は、現在ノルウェーの王室旗として使用されている。この旗は、エイリーク2世1280年から使用した旗で、赤地にを持った金色の獅子が描かれている。これ以降、この旗はノルウェーの国旗および王室旗として常時使用されるようになる。

この旗は、ノルウェーの国章を基に作成され、元々はノルウェーの君主のみが使用するための旗であった[注釈 1]。その後、17世紀から18世紀に段階的に使用を取りやめるまで、ノルウェーの船舶要塞でも掲げられるようになった。もっとも初期にこの旗が描かれたのは、1318年のインゲビョルグ公爵夫人の印章で用いられている。1500年頃、船舶の国籍を特定するために、船舶の所属する国の旗を掲げるようになった。赤地に金色の獅子と銀のほこやりが描かれた旗は、1669年から1670年頃からデンマークの旗本でノルウェーの旗として描かれるようになった[1]。遅くとも1698年には、獅子が用いられた旗は、アーケシュフース城で掲げられていた。この"ノルウェーの獅子"が、1641年には全ノルウェー連隊で軍旗として使用されるようになった。1748年になると、デンマークの国旗が唯一の適法な商船旗であるとされた。

16世紀頃から1814年まで、ノルウェーは同君連合を組んだデンマーク(デンマーク=ノルウェー)と同じ国旗を用いるようになった。1814年にノルウェーが独立すると、ノルウェーはデンマークの国旗のカントンの部分に"ノルウェーの獅子"が描かれた旗を国旗として採用した。この旗は、国旗としては1815年まで、商船旗としては1821年まで使用された。1814年終わりごろに、ノルウェーは隣国スウェーデンとの同君連合を組む(スウェーデン=ノルウェー)。そして1815年3月7日、同君連合の軍旗として、元々のスウェーデン軍旗のカントンの部分に、赤地に白のサルタイアーが追加して描かれたものが採用された。1818年には、商船旗においても、この軍旗(三ツ尾燕尾型)を長方形にカットしたものを、遠方の海で使用するようになった[注釈 2][2]

現在のノルウェー国旗は、1821年ノルウェー議会の議員であったフレドリック・メルツァー(英語版)によってデザインされた。この旗を国旗とする法案は、同年5月11日5月16日にノルウェー議会両院をそれぞれ通過した。しかしながら、同君連合の王・カール14世ヨハンは同法案への署名を拒否した。しかしながら、スウェーデン=ノルウェー中央政府は同年6月13日にこの旗を市民旗として使用することを承認した。1814年の組織は、明確に連合王国の軍旗をユニオンフラッグとして使うと述べていた。このため、この一般的な旗(元のスウェーデン旗のカントンの部分に、赤地に白のサルタイアーが追加して描かれた旗)が両国の軍で1844年まで使用された。

1838年まで、ノルウェーの旗は北の海のみで使用された。ノルウェーは、北アフリカの海域で活動していたバルバリア海賊との間で約定を結んでいなかったため、ノルウェー船舶は防衛のためにスウェーデンの旗を掲げていた。1844年、ノルウェーとスウェーデン両国の国旗を組み合わせた連合王国の記章が制定された。この記章は、冗談的に軽蔑的に「Sildesalaten」(ニシンのサラダの意)と呼ばれた。これは、寄せ集めの色とノルウェー、スウェーデン両国で朝食の食卓に並ぶ一般的な料理に似ているためであった。しかしながら、この旗はスウェーデンとノルウェー両国が対等であることをはっきりと示す旗であったため、当初、この記章はノルウェーではポピュラーであった。しかしスウェーデン側ではさほど受け入れられず、1898年には、ノルウェー議会はこの連合王国の記章を国旗と商船旗から削除する法案を可決した。しかし、当時のスウェーデン=ノルウェーの王・オスカル2世は、この法案を却下した。しかし、この法案がノルウェー議会で計3回可決されると、施行されることとなった。連合王国の記章が外された"純粋な"旗は、1899年に最初に掲げられた。しかしながら、軍旗においては連合王国の記章が残された。連合王国が解消され、ノルウェーが独立すると、軍旗からも連合王国の記章は削除された。ノルウェー側は1905年6月9日に記章が外されたが、スウェーデン側では1905年11月1日になって記章が外された。
国旗に関する法律

1898年に制定されたノルウェー国旗に関する法律[3]は、商船旗と国旗の見た目と、それらが商船や郵便船、税関でどのように使用するかについて明記していた。1927年に旗に関する規制が定まった[4]。この規制では、国家機関や国家の祝日における旗の使用方法について、より詳細に述べられている。

この旗の規制では、旗をいつ掲げ、いつ降ろすべきかについても述べられていた。その定めの中では、3月から10月の間は、旗は8時から、11月から2月の間は9時から掲げるべきだとされた。同じく、旗は日の入りと同時に降ろし、仮に日の入りしていなくとも21時には降ろすべきだとされた。またノルウェー北部の県、ヌールラン県トロムス県フィンマルク県においては、11月から2月の間は、旗は10時から15時の間、掲げられた。これらのルールは、個人的な旗の使用に関しては制限していなかったが、一般的には全ての一般市民がこの決まりを遵守していた。

また、適切な旗の取り扱いや、旗を地面につけないことなどのルールが書かれており、これらに加えて明記はされていないものの、ウエストよりも下に国旗をつけるべきではないというルールもあった。
法的な定め

市民用旗の規定

政府や軍用旗の規定

国旗の縦横比は、8:11(16:22)である。国旗の色の比は、縦が6:1:2:1:6(赤:白:青:白:赤)、横が6:1:2:1:12(赤:白:青:白:赤)である。政府旗は、縦横比が16:27、旗の色と燕尾の部分の比が縦は6:1:2:1:6(赤:白:青:白:赤)、横が6:1:2:1:6:11(赤:白:青:白:赤(通常):赤(燕尾部))である。

パントンにおいては、赤はPMS 200、青はPMS 281である[5]RGBにおけるおおよその値は、#BA0C2F[6](赤)、 #00205B[7](青)である。


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