ノリタケ伊勢電子
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ノリタケ伊勢電子株式会社
NORITAKE ITRON CORP.
本社・大宮工場
種類株式会社
本社所在地 日本
519-2736
三重県度会郡大紀町打見670番地5
設立1966年9月1日
(伊勢電子工業株式会社)
業種電気機器
法人番号6190001006476
事業内容蛍光表示管などの設計開発および製造、販売
代表者代表取締役社長 篠原一浩
資本金4億円
売上高40億円(2013年度実績)
純利益4億1700万円
(2023年03月31日時点)[1]
総資産10億1500万円
(2023年03月31日時点)[1]
従業員数131名(2020年度現在)
主要株主ノリタケカンパニーリミテド(99.6%)
関係する人物中村正(創業者、元名誉会長)
倉田隆文(元社長)
外部リンクhttps://www.noritake-itron.jp/
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ノリタケ伊勢電子株式会社(ノリタケいせでんし、NORITAKE ITRON CORP. )は 三重県度会郡に本社を置く電子デバイスメーカー。ノリタケカンパニーリミテドの子会社の一つであり、その電子部門に位置づけられている。主力製品はタッチ液晶モジュールや蛍光表示管(VFD)であり、小型の電光掲示板や産業用機器のディスプレイなどに用いられている。また、技術力に優れる開発志向型の企業であり、真空電子技術をベースに、要素技術、高精細技術、半導体、さらに、ディジタル、ネットワーク技術を組み合わせたユニークな技術を持つ。特許等、多数の知財権を有し、SID(米国電子表示協会) 賞や科学技術庁長官賞などを受賞している。

農村の広がる伊勢市で創業し、2019年6月に度会郡へ移転。現在も本社の開発部門や工場で世界の先端技術市場に向けた商品企画、研究開発ならびに生産を行う。創業以来、積極的に技術者を欧米へ海外駐在させ、提案型ビジネスにより輸出比率80%という特色を持つ。「地方において世界に通用する技術者を育成する」という創業者中村の想いが実現され、地元より欧米における知名度が高いという企業になっている。
概要
創業の経緯

創業者の中村正(元・名誉会長、工学博士)は川西機械製作所(後に神戸工業、富士通テンを経て、現・デンソーテン)の技術部でブラウン管、表示機器の研究・開発に携わっていたが、会社が富士通に吸収合併されブラウン管部門は消滅する見通しとなった。これを契機に、中村らは低電圧で発光する表示素子、蛍光表示管を考案。京都研究所に技術者ら12名を集め、完成度を高めるとともに、1966年に中村は出身地の伊勢市に伊勢電子工業株式会社を設立した。

創業当時、電卓や測定機器などのデジタル表示デバイスとしては主にニキシー管が使用されていた。これはネオンガスに250Vの高電圧を印加してオレンジの単色光発光させるもので、

組立の工程が複雑になる

特許元のバロースアメリカ)に15%の特許使用料を払う必要がある

平面表示でないため視認性が悪い

原理的に高電圧が必要とされる

などの問題を抱えていた。このため、低コストで視認性に優れ、低電圧駆動の表示デバイスの開発が求められていた。

ニキシー管を電卓の表示デバイスとして使っていた早川電機(現・シャープ)では神戸工業時代の中村の上司が事業部長として電卓の生産・開発を担当しており、中村に創業を勧めるとともに出資者の紹介や委託研究の締結、開発成功時の大量購入を約束するなど大きな支援を行なった。この他、三重定期貨物自動車(2001年3月経営破たん)など地元の有力企業も出資したため、用地買収や人材確保がスムーズに進んだ。
会社の発展

ニキシー管を代替する表示デバイスとして、中村は蛍光表示管の研究・開発を進めた。蛍光表示管には

自己発光型(プラズマディスプレイLEDなどと同様)なので輝度が高い。

LSIにより低電圧で直接駆動するため、消費電力が少ない。

視認性の高い7セグメントやドットマトリクスディスプレイとして単純な工程で生産できる。

耐熱性・耐湿性に優れている。

などの長所がある。開発にあたり、神戸工業時代の研究グループのメンバーを集め、カソードの改良は日本電子材料に、酸化亜鉛を用いた蛍光体の高輝度化は大日本塗料にそれぞれ開発協力を依頼した。また早川電機からもテスト結果の通知などを受けて開発は順調に進み、創業から1年後の1967年9月には早川電機が電卓に採用する事が正式に決まった。その傍ら、収入源として小型ブラウン管の開発も行い、スタンダード工業に納入していたが、ニクソン・ショックにより先方がテレビ生産を中止したためブラウン管の生産は打ち切られた。

1967年5月に米国Electronics誌にて紹介されると、蛍光表示管は注目を集め、企業規模は急速に世界市場に拡大した。国内外で特許出願をするとともに商品名を"itron"とした。これは現在まで続き、英語社名の由来ともなっている。日本電気と特許の供与、双葉電子工業とは生産委託の契約を結び、20億円以上の収入を得て中央研究所を設立し、研究・開発をさらに進め、一文字ごとだった表示管を一体化した多桁管の開発などに成功。材料や工法の要素技術、さらに半導体や電子回路、ソフトウエア技術への展開の原点となった。
ノリタケグループへの参加

このように技術面で優位に立ち、経営は順調に拡大し創業6年目の1971年には社員が1,000人を超えるまでになった。しかし、その一方で日本電気双葉電子工業との競争や電卓本体の競争激化による値下げ要求などから経営は悪化していった。


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