ノビリアリー・パーティクル
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西洋諸語では、家系が貴族に属することを示す、ノビリアリー・パーティクル(英語: nobiliary particle、「貴族の小辞」の意)と呼ばれる不変化詞が苗字に付されることがある。国や言語や時代によって、どの品詞が使われるかは異なり、ある言語で貴族を表す不変化詞が他の言語では多くの苗字に使用される通常の接置詞であることもある。通常の不変化詞とは異なる綴りを使用することでノビリアリー・パーティクルであることを明確にしている国もあればそのような区別もなく曖昧のままの場合もある。また、日常会話などの特定の文脈では、省略される時もある。
デンマーク・ノルウェー「en:Danish nobility」および「en:Norwegian nobility」も参照16-17世紀の女領主Gorvel Fadersdotter(1517?1605)の肖像。絵の上部に「Fru Gorvel Fadersdatter til Giedske」と記されている

デンマークノルウェーでは、貴族の姓であることを表す不変化詞と、個人の居住地を表す前置詞という、二つの異なる貴族の姓名であることを示す表記がある。

af 、 von 、 de のような英語のofにあたるノビリアリー・パーティクルは、苗字の一部として結合している。これらの不変化詞を苗字に使うことは、貴族の特権という訳ではなかったが、使っているのはほとんどは貴族の家名であった。特に17世紀後半から18世紀にかけて、新しく貴族に叙せられた家はこうした不変化詞を苗字に含めることが多かった。例としては、de Gyldenpalm家やvon Munthe af Morgenstierne家などがある。

一方で、これらの不変化詞が含まれる苗字であっても、諸外国から移住してきた人々の子孫を中心に、貴族でない家も存在する。例としては、von Ahnen家、von Cappelen家、von der Lippe家、de Crequi dit la Roche家などがある。

こうした不変化詞とは別に、til(ドイツ語のzuに相当)という前置詞も、その者が貴族であることを示すものである。これは、居住地を示しており、その者のフルネームの後ろに記される。例としては、Sigurd Jonsson til Sudreimなどがそれにあたる。
フランス「en:French nobility」も参照

多くのフランス貴族(および、ノルマン・コンクエストの結果生まれたイングランド貴族の一部)では、de(ド)という不変化詞と土地の名前(nom de terre)の組み合わせが貴族であることを示す印となっている。ただし、全ての貴族がこの不変化詞を持つわけではない。例としては、ルイ13世ルイ14世に仕えた大法官Pierre Seguierの名前にはdeは付かない。また、フランス語の文法規則に従ってdeも変化する。例えば、その土地の名前が定冠詞の付く男性名詞であった場合はdeと定冠詞leが結合しdu(デュ)となる。その土地の名前が母音で始まる場合、d ' となり連音で発音する。例としては、オルレアン朝のフランス王ルイ・フィリップの息子Ferdinand d'Orleans(フェルディナン・ドルレアン)などが挙げられる。その土地の名前が複数形であればdeと定冠詞 lesが結合しdes(デ)となる。

歴史的に見ると、この不変化詞は必ずしも貴族であることの証明であったわけではなかった。貴族の名乗りはescuyer(ラテン語のdapiferに相当、「従士」の意)や、それより上位のchevalier(ラテン語のmilesに相当、「騎士」の意)であった。そして騎士はmonseigneurやmessire(ラテン語のdominus、英語のsirに相当、「ご主人様」の意)と言った尊称で呼ばれることでその身分を示していた。例としては、monseigneur Bertrand du Guesclin, chevalier(モンセニョール・ベルトラン・デュ・ゲクラン・シュヴァリエ、騎士ベルトラン・デュ・ゲクラン卿) などである。

16世紀になると、フランスの貴族の姓の多くは、前置詞deの後ろに父称・称号・土地の名前などを組み合わせたもので構成されるようになっていった。例としては、Charles Maurice de Talleyrand-Perigord(シャルル・モーリス・ド・タレーラン-ペリゴール)などである[1]。この頃から不変化詞を使う苗字は、その者が貴族であることを示すものとなっていった。だが、王政が崩壊した後は、deを使う貴族の苗字は不変のものではなくなった。例えば、フランス大統領Valery Giscard d'Estaing(ヴァレリー・ジスカール・デスタン)は父のエドモン・ジスカールの代に妻の実家であるエスタン家の家督を継承し、ジスカールデスタン家を名乗るようになったという例が挙げられる[2]

なお、それ以前の18世紀から19世紀ころにも既に、多くの中流階級の家系は、貴族でないにもかかわらずdeを名乗っていたこともあった。例としては、フランス革命期の政治家Maximilien de Robespierre(マクシミリアン・ド・ロベスピエール)の家は、貴族ではないが代々deを名乗っていた[3] [4]。また、貴族ではないが不変化詞deを使う苗字は、一単語のように綴る場合もある(例としては、Pierre Dupontなど)[5]が、一方で貴族ではないがdeをそのまま苗字に留めている名前も珍しくない。
ドイツ・オーストリア「フォン (前置詞)」、「en:German nobility」、および「en:Austrian nobility」も参照

ドイツオーストリアにおいては、von(「?より出た」の意)やzu(「?を領す」の意)が、貴族の姓の前に置かれる。例としては、18~19世紀の博物学者Alexander von Humboldt(アレクサンダー・フォン・フンボルト)や三十年戦争期の軍人Gottfried Heinrich Graf zu Pappenheim(ゴットフリート・ハインリッヒ・グラーフ・ツー・パッペンハイム)などが挙げられる。また、vonとzuは同時に名乗ることも可能である。例としては、現リヒテンシュタインJohannes Adam Ferdinand Alois Josef Maria Marko d'Aviano Pius von und zu Liechtenstein(ヨハネス・アダム・フェルディナント・アロイス・ヨーゼフ・マリア・マルコ・ダヴィアーノ・ピウス・フォン・ウント・ツー・リヒテンシュタイン)が挙げられる。

また、場合によっては、より細かく家系を区分するために、vonやzuに加えてauf(アウフ)を苗字に入れて現在の居住地を示すこともある。

ただし、全ての貴族が不変化詞を使用しているわけではない。ドイツ最古の貴族ウアアーデルに数えられる家系やその他の古い貴族の家名にも、vonやzuが含まれていないものはしばしば存在する。例としては、Grote(グローテ)家, Knigge(クニッゲ)家、Vincke(フィンケ)家などである[6]。逆に、後述するオランダのvanのように、接頭辞vonが付くにもかかわらず貴族でない家名も2~300ほど存在する[7]。特にドイツ北西部(ブレーメンハンブルクホルシュタインニーダーザクセンシュレスヴィヒヴェストファーレン)やドイツ語圏のスイスでは、vonを名乗る非貴族の家名はよく見られる 。一方で、オーストリアやバイエルンでは、19世紀にvonを含む非貴族の苗字は他の語の一部に統合するよう改められた。例としてはvon Werden(フォン・ヴェルデン)家はVonwerden(フォンヴェルデン)家に改められることになった 。
ハンガリー

ハンガリーはオーストリア・ハンガリー帝国など長らくハプスブルク家の支配地域の一部であったが、ハンガリーの貴族はオーストリア貴族とは異なりdeを使う場合もあった。これはハンガリー語では特に意味はなく、フランス語やラテン語からの借用だと考えられている。
ポルトガル「en:Portuguese nobility」も参照

中世盛期のころから、現在のポルトガルを中心とした西イベリアの貴族は、これまでの父称を苗字として使用していたのに加え、自らの所有する荘園の名前や場合によっては渾名などを付け加えるようになった。例としては、11世紀のソウザ領主であるゴメスの息子エガスは、Egas Gomes de Sousa(エガス・ゴメス・デ・ソウザ)を名乗っている。カスティーリャアルフォンソ10世の息子フェルナンドは生まれつき毛むくじゃらのほくろがあったため、Fernando de la Cerda(フェルナンド・デ・ラ・セルダ、「剛毛のフェルナンド」の意)と呼ばれ、彼の子孫はデ・ラ・セルダを苗字として名乗るようになった。しかし、15?16世紀ごろにはこれらの姓は、一般の人々の間でも使われるようになっていった。そのため、ポルトガル語圏におけるdeは必ずしも貴族の家系であることを意味していない。

さらに言えば、ポルトガルにおいて貴族として認められるには父方・母方の両祖父母4人ともに貴族であることが必要であり、苗字に特定の不定冠詞が含まれているか否かは無関係である。

貴族にも非貴族にも多くの場合同一の苗字が存在するため、ポルトガル人は苗字から貴族であるかどうかを判断することは難しい。16世紀初頭、都市民の紋章を消滅させたマヌエル1世の改革により、個人あるいは家の紋章を持てる者は貴族や聖職者に制限された。ただしポルトガルの貴族は紋章の持ち主に限定されるわけではなく、当時も現在も、多くのポルトガルの貴族は紋章を持っていない。

前述の通り、deやその他の正書法のdo、dos、da、dasなどの前置詞が名前に使われているかどうかは、フランスのように貴族であるかどうかを示していない。ポルトガルの現代の法律では、身分証明書に記された名前にそれらの前置詞が含まれているか否かに関わらず、署名の際に自分の名前に前置詞を入れる権利、自分の名前から前置詞を省略する権利が認められている。実際、ポルトガル語の命名法では、冠詞と前置詞は単なる装飾とみなされている。例えば、Joao Duarte da Silva dos Santos da Costa de Sousaという名前の人物は、斜体で示した前置詞を全て省略してJoao Duarte Silva Santos Costa Sousaと署名することも法的に認められている。しかし、ポルトガルの貴族は、通常は前置詞は先頭に一つだけ使用し、苗字の最後の単語の前にe(英語のandに相当)を付けて前置詞を繰り返さないようにする。


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