この項目では、ルネサンス期フランスの人物について説明しています。その他の用法については「ノストラダムス (曖昧さ回避)」をご覧ください。
ミシェル・ド・ノートルダム
Michel de Nostredame
ノストラダムスの肖像画(1614年頃)
ペンネームノストラダムス
Nostradamus
誕生1503年12月14日
サン=レミ=ド=プロヴァンス
死没 (1566-07-02) 1566年7月2日(62歳没)
サロン=ド=プロヴァンス
職業医師
占星術師
詩人
料理研究家
国籍フランス
ジャンル詩
予言
配偶者アンリエット・ダンコス
アンヌ・ポンサルド
子供マドレーヌ・ド・ノートルダム
セザール・ド・ノートルダム
シャルル・ド・ノートルダム
アンドレ・ド・ノートルダム
アンヌ・ド・ノートルダム
ディアーヌ・ド・ノートルダム
親族レニエール(ルネ)・ド・サン=レミ
ジョーム・ド・ノートルダム
影響を与えたもの
ピエトロ・クリニート
ジロラモ・サヴォナローラ
ピエール・チュレル
リシャール・ルーサ
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ミシェル・ノストラダムス(Michel Nostradamus、1503年12月14日 - 1566年7月2日[1])は、ルネサンス期フランスの医師、占星術師[注釈 1]、詩人。また、料理研究の著作も著している。日本では「ノストラダムスの大予言」の名で知られる詩集を著した。彼の予言は、現在に至るまで非常に多くの信奉者を生み出し、様々な論争を引き起こしている。
フランス語名は、ミシェル・ド・ノートルダム (Michel de Nostredame) [2]で、よく知られるノストラダムスの名は、姓をラテン語風に綴ったものである。しばしば、「ミシェル・ド・ノストラダムス」と表記されることもあるが、後述するように適切なものではない。 ノストラダムスは改宗ユダヤ人を先祖とし、1503年にプロヴァンスで生まれ、おそらくアヴィニョン大学で教養科目を、モンペリエ大学では医学を、それぞれ学んだ。南仏でのペスト流行時には積極的に治療にあたり、後年にその時の経験などを踏まえて『化粧品とジャム論』などを著した。 他方で、1550年頃から占星術師としての執筆活動も始め、代表作『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』などを著し、当時大いにもてはやされた。王妃カトリーヌ・ド・メディシスら王族や有力者たちの中にも彼の予言を賛嘆する者が現れ、1564年には、国王シャルル9世より「常任侍医兼顧問」に任命された。その2年後、病気により62歳で没した。 彼の作品で特によく知られているのが、『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』である(『諸世紀』という名称も流布しているが、適切なものではない)。そこに収められた四行詩形式の予言は非常に難解であったため、後世様々に解釈され、その「的中例」が広く喧伝されてきた。あわせてノストラダムス自身の生涯にも多くの伝説が積み重ねられてゆき、結果として、信奉者たちにより「大予言者ノストラダムス」として祭り上げられることとなった(「ノストラダムス現象」も参照のこと)。
概要