ノスタルジア
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この項目では、郷愁、懐古の意味のノスタルジアについて説明しています。その他の用法については「ノスタルジア (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「郷愁」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「郷愁 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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ノスタルジア(: nostalgia)またはノスタルジー(: nostalgie)は、

異郷から故郷を懐かしむこと、またその懐かしさ。同義語に郷愁(きょうしゅう)・望郷(ぼうきょう)など。

過ぎ去った時代を懐かしむこと、またその懐かしさ。同義語に懐古(かいこ)・追憶(ついおく)など。

また上記の2つの意味から派生して、懐かしさに伴う儚さ、哀しさ、或いは寂しさ、しみじみ想いを馳せる心境のこと。→エモーショナル(若者言葉の「エモい 」と同義)、センチメンタルメランコリックな感情をもたらす。

と定義される。

対義語は、ノストフォビア(帰郷嫌悪)[1]
概要人々の学生服への愛着は、ノスタルジアに由来するところが大きい。特に少女時代への憧憬は、『ゴンドラの唄』の一節「いのち短し 恋せよ乙女」にも表れている。生産終了したことで徐々に見られなくなった、タクシー専用車種『日産・セドリック営業車(Y31型系)』。かつての日常が、時代の変化によりノスタルジアの対象となっていく。

人が現在いるところから、時間的に遡って過去の特定の時期、あるいは空間的に離れた場所を想像し、その特定の時間や空間を対象として、「懐かしい」という感情で価値づけることをいう。

通常は、時間的に未来がその対象とされることはなく、また対象の負の部分は除外され、都合よくイメージが再構成される場合が多い。過去の事物を肯定し、相対的に現代を否定する「懐古主義(nostalgism。近年の日本では「思い出補正」とも呼ばれる)」はこの感情に起因する。なお、過去の人々が思い描いた未来(または近未来)に対して、ノスタルジアを思い起こさせる場合があり、それはレトロフューチャーとして定義される。

本人がその時間や空間を実体験したかどうかは必ずしも問われず、第三者からの情報にもとづいて想起し、さらに自己の創作した想像を加え拡大しこの感情を持つことも可能である。

また過去や異空間からもたらされた特定のものや人物に即し、これを媒介としてこの感情を持つことも可能である。

「時間的または空間的に、(ある時点に)戻ったり、(ある状況を)再び経験したり、(ある人物に)再会することができない」という感覚はノスタルジアを想起あるいは増幅させ、前述したような感傷的な気分をもたらす。
歴史

この言葉は1688年にスイスの医学生、ヨハネス・ホーファー (Johannes Hofer:1669-1752) によって新しくつくられた概念である。2つのギリシャ語(「nostos」:帰郷、および「algos」:心の痛み)を基にして造った合成語で、「故郷へ戻りたいと願うが、二度と目にすることが叶わないかも知れないという恐れを伴う病人の心の痛み」とされた。精神科医となった彼は、「ノスタルジア」という心の病気について、その症例を多く取り扱い、診断した結果を発表した。17世紀末から19世紀末にかけて、この病気には「mal du pays(国の痛み:仏)」、「Heimweh(家の痛み:独)」、「hiraeth(ウェールズ語)」、「mal de corazon(心の痛み:スペイン語)」など、様々な言語で名称が付けられて、医学的な研究の対象とされた。

とくに18世紀から19世紀にかけて、前線の兵士達に蔓延するノスタルジアの現象は重大な精神病理学の研究対象とされ、その原因や病としての症状が分析された。故郷への想いに満ちたこの現象は、しばしば兵士達の間に伝染するが、隊が優勢な時にはそうでもなく、戦況が不利な場合に多く現れる。軍事的な観点からは、生死を前にして勇気を鼓舞せねばならないときに、故郷を想い見る兵士達のノスタルジアは、後ろ向きのネガティブなものとして戦意の喪失と見なされ、排除されねばならない感情とされた。

19世紀末までには、精神医学のカテゴリとしての「ノスタルジア」への関心はほとんど消え失せる。当初の「深刻な医学的疾患」の意味合いはなくなり、一般の日常会話にも「ノスタルジア」という言葉が現れるようになった。今では、通常それほど昔ではない過去の失われた時間や場所を懐かしむ慣用句である。しかし、現代においても「ノスタルジア」が「ホームシック」と同じような意味で扱われたり、未来への展望が明るく勢いの良い時には、過去や故郷を振り返ることについて、しばしばこれを咎めるような論調が現れることもある。
分析・解釈

アメリカ社会学者、フレッド・デーヴィスは、ノスタルジアの体験が生じる必要条件は「良い過去・ 悪い現在」という明らかな対称が成り立つことであるとし、「現在もしくは差し迫った状況に対するなんらかの否定的な感情を背景にして、生きられた過去を肯定的な響きでもって呼び起こす」と定義した[2][3]

さらに「ノスタルジアの体験が持続するための滋養分をどれほど過去の記憶から引き出してこようと、われわれがノスタルジアを感じるきっかけとなる要因は、やはり現在のなかに存在しているはずである」と述べ、ノスタルジアは単に過去を振り返る行為ではなく、あくまでも現在の価値観が基軸となっていることを指摘した[3][4]

またデーヴィスは、ノスタルジアが、 アイデンティティの形成、維持、再構成と深く結びついていることを強調した[3]。ノスタルジアは、青年の依存期から成人としての独立期ヘ、独身から結婚ヘ、職業生活から退職後の生活ヘ、といった人生の転換点、すなわち非連続に対する不安に苛まれるライフサイクルの移行期に顕著に現れるという[3]。同様に、戦争恐慌、市民生活の擾乱、天変地異といった現象によって引き起こされた社会的な非連続と混乱によってもノスタルジアが立ち現れ、これを「集合的ノスタルジア」と呼んだ[3]。以上のように、個人的、社会的に何らかのアイデンティティに関する非連続の危機が訪れた時、ノスタルジアはその連続を確保させるために機能する、と結論づけた[3](しかし、アイデンティティの視点にとらわれすぎることにより、多様な現象をすべてアイデンティティに結びつけて解釈されてしまうという批判もある[5])。

ノスタルジアの精神的な影響としては、ノスタルジアが「心理的なリソース」として心理的なwell-beingや精神的健康にもたらす効果があるという研究結果が各国の学術誌から発表されている[6][7]。それによればノスタルジアは、自己評価の向上や、心理的脅威への対抗手段として役立ち、また人生の意味を見つけたり、将来を楽観視できる場合があるという。例えば、アメリカの社会心理学者、J・ゲバウェルとC・セディキデスによれば、「人々が悲しみや孤立感から立ち直るのに役立つが、それだけでなく、 懐かしく素晴らしい記憶は、先々に生じるひどい気分を予防するワクチンになりうる」と結論づけた[3][8]

比較文学者スヴェトラーナ・ボイム(英語版)によれば、ノスタルジアには「復興的(復旧的)ノスタルジア」と「反射的(反省的)ノスタルジア」の2つのカテゴリーがあるといい、前者は失った故郷を歴史を超えて再構築しようとするが、後者は痛みや喪失、憧れにとどまる[9]。そして前者の「復興的ノスタルジア」は時に神話まで創り出すという(例としてナチズム韓国の民族主義など)。またボイムによれば、「ノスタルジアは、もはや存在しない家か、存在したことのない家へのあこがれである。ノスタルジアは、喪失と転位(displacement)の感情であるが、しかしまた自身のファンタジーへのロマンスである」ともしている[10]

ノスタルジアとは、"甘美で取るに足らない陳腐だが、同時に無害な懐古趣味であるとし、そのうえで「良い時代」を懐かしむ無害なものだからこそ歓迎しても良いという考えと、一方で、そんな感傷にひたるのは後ろ向きであるとする批判に分かれるのが一般的である[10]。しかしながら、ノスタルジアとは、本来はもっと複雑な歴史的背景と含意を備えた言葉であり、単なる「甘美」で「無害」な過去への憧れではなく、モダニティの矛盾を暴く公共的な「脅威」とされた歴史があったことを見逃してはならない[10]。いわば、革命産業革命における「進歩」が最重要な概念であるモダニティの時代にとって、大切なのは未来の改革であり、過去への内省ではなかったため、ノスタルジアは決して都合が良いものではなかったのである[10]

映画監督押井守は、「あの時代にノスタルジーを感じさせるという行為自体が虚構の現代史であって、あの時代に対する清算をうやむやにするだけ。清算も終わっていないのにノスタルジーにすり替えているんですよ。僕の立場からすれば、ノスタルジアは虚構の現代史をつくる方法論に過ぎない。歴史を忘れさせるための装置「歴史の忘却装置」なんですよ」と述べ、過去の歴史的事実がノスタルジアによって隠蔽されかねない危険性を指摘した[3][11]

著述家松岡正剛は、「ノスタルジアは指定できないものへの憧れにもとづきながらも、その指定できないものからすらはぐれた時点で世界を眺めている視線なのである」とし、また「ノスタルジアの正体は視線が辿るべき正体がないことから生じたものなのだ。したがってノスタルジアは過ぎ去ったものへの追憶ではなく、追憶することが過ぎ去ることであり、失った故郷を取り戻したい感情なのではなくて、取り戻したい故郷が失われたことをめぐる感情なのである」とも述べている[1]
ノスタルジアを想起する理由とその対象ノスタルジアの代表格とも言える夕焼け。夕焼けそのものに対して「懐かしさ」を感じるのではない。

ノスタルジアの感情は人間の五感視覚聴覚触覚味覚嗅覚)全てから得ることができる。嗅覚は嗅細胞嗅球を介して大脳辺縁系に接続されているため、記憶や感情を呼び起こしやすいと言われている(プルースト効果)[12]。視覚は既視感(デジャブ)から想起される可能性もある[13]。また前項で述べたように想像や推測によってこの感情が誘起されることもあり得るため、言語・文化の相違が影響することはない。

自伝的記憶によって引き起こされるノスタルジアの感情は、過去のある時期における情報への接触頻度の高さと、接触時期から現在までの長い時間経過が考えられる[13]。過去における事物との頻繁な接触があり、その後全く接触がない長い空白期間、そして現在において過去に接触した事物または類似した事物に再び接触することである[13]。その事物が手がかりになって、強い懐かしさの感情とともに、その当時の個人的思い出や社会的出来事などが連鎖的に思い出され、過去へのタイムスリップが起こると考えられる[13]

想像や推測から得られるノスタルジアの感情は、その一見理解し難い生起機序から「前世の記憶」、「人類共通の記憶」といったオカルト的な要素に結びつけられることがある。しかしながらその多くは自己投影・感情移入の容易さに関連していることは周知の通りである。一般的に想像や推測から得られるノスタルジアの感情は視覚からの情報が主(発端または引き金)であり、また完全な自然物よりも、人工物とそれに付随する自然物や空間によって想起される。それは事物に関わる人々や空間に対して自己投影・感情移入がしやすいことで、推測によって体験が擬似的に行われるためである。それがあたかも過去に経験したかのような錯覚を生じさせている。個人本位の無機的対象から有機的対象への意識の変換[注釈 1]である(メタファーの作用にも関連する[14][15][16])。この過程は無意識下に行われるため、感情を自らコントロールすることは難しい。またその変換は視覚情報から聴覚、嗅覚情報へと拡大するため、空白期間の後に聴覚や嗅覚の情報のみ与えたとしても以前に得たノスタルジアが想起される。

一例として里山の風景が挙げられる。里山を単にとして捉えた場合はあくまで自然物であり人間の存在を感じさせない事物である。山に無機的な印象が生まれるため、ノスタルジアの感情は想起されにくい。しかし山の麓に民家田畑神社といった人工物が存在することで、そこに住む/住んでいたであろう人々に対し自己投影が働く。必然的に山に対しても身近で有機的な印象を受けるため、(そこで実際に生活したことがなくとも)その風景に「懐かしい」という感情を生じさせる。その反応はセミの鳴き声や田畑の匂いといった聴覚、嗅覚情報にまで拡大していく。

一方でこういったノスタルジアの想起には個人差があることも事実である。過去に推測によって得たノスタルジア感そのものが自伝的記憶となっていたり、マスメディアや映画・小説・漫画等によってその印象が増幅されている可能性もある。「懐古主義」とも関連する。あるいは集合的無意識との関連性も考えられるなど、解明されていない点が多くある。

例えば、博物館の展示において、白黒写真をあえてセピア調にする、あるいは展示室の照明を暖色系にして夕焼けのイメージに近づけるなどの手法は、いずれもノスタルジックな演出として有効とされるが[17]、その法則について根本的な解明には至っていない[3]


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