この項目では、フィンランドの通信インフラ開発企業について説明しています。フィンランドの都市については「ノキア (都市)」をご覧ください。
ノキア
Nokia Corporation
ノキア本社
種類株式会社
市場情報Nasdaq Nordic ⇒NOKIA
Euronext: NOKIA
ノキア(英語: Nokia Corporation、フィンランド語: Nokia Oyj)は、フィンランド・エスポーに本社を置く、通信インフラ施設・無線技術を中心とする開発ベンダー。現CEOは、ペッカ・ルントマルク(フィンランド語版)。
日本法人は1989年4月設立のノキア・ジャパン株式会社、および旧ノキア シーメンス日本法人の後身であるノキアソリューションズ&ネットワークス合同会社(2013年9月1日にノキア シーメンス ネットワークス株式会社より改称、2018年4月1日に合同会社化)[1]。 現在の主要事業は、無線技術を中心とする通信インフラ設備の製造・開発であり、売上の9割を占めている[2]。 2011年までは世界最大の携帯電話端末メーカーであった。市場占有率および販売台数の両方で、1998年から2011年まで首位を維持していたが、その後、スマートフォン戦略および、アメリカ合衆国での市場戦略の迷走により低落傾向に陥り、2012年第一四半期ではサムスン電子に次ぐ2位となった[3]。さらにこの後、iPhone等を擁したAppleや、Android採用の新世代スマートフォン端末の台頭による経営危機と大規模なレイオフを経て、2013年9月2日にマイクロソフトが携帯電話事業の買収(54億4000万ユーロ、約7100億円)を発表、2014年4月25日に買収手続きが完了し、同事業はマイクロソフト社の傘下に移った。2016年、マイクロソフトは携帯電話部門をノキアOBによるスタートアップHMD Globalに売却し、現在は同社がノキアのブランド名を継承した携帯電話を製造・販売している。同社とノキアの間に資本関係は存在しないが、オフィスはノキアの本社ビル内に位置している。 携帯電話の通信設備では世界第2位であり(世界第1位はスウェーデンのエリクソン)[4]、GSM、W-CDMA (UMTS) 方式の携帯電話の通信設備を携帯通信事業者向けに開発して販売している。この携帯電話の通信設備のビジネスは2006年にシーメンス(ドイツ)との合弁事業とし、ノキア・シーメンス・ネットワークスが設立された。2013年にはノキア・シーメンスを100%子会社化し、2014年4月にノキア・ネットワークス
概要
その他にも音声電話などのアプリケーション、ISDN、ブロードバンドアクセス、モバイルラジオ、VoIP、無線LAN、地上波デジタル放送の受信機、衛星受信機などの通信機器を生産している。近年では、IoT、バーチャル・リアリティ(VRカメラOZOなど)、そしてヘルスケア関連製品のビジネスにも参入している。
日本でも情報通信技術(ICT)を使った幅広いソリューション事業を展開している。2017年には宮城県仙台市と、地域産業活性化や街づくり、ドローンを使った防災などで協力する連携協定を結んだ[5]。 1865年、製紙会社として、スウェーデン系フィンランド人のフレドリク・イデスタム
沿革
ケーブルワークス
一方、ゴム製品の製造会社であるフィンスカ・グミと、電話および電信ケーブル製造会社であるフィンランド・ケーブルワークス (Finnish Cable Works) は、フィンランド独立(1917年)後、持株によりノキア社と関わるようになった(現在でもノキアの名前でゴム長靴などを製造・販売している)。
第二次大戦後の1960年にフィンランド・ケーブルワークス社内にエレクトロニクス部門ができると、1967年に3社は合併し、ノキアは電気通信分野に進出することになる。1970年代に社業の中心を電気通信分野に移し、電話交換機用のデジタルスイッチを主力製品とする。
失われたノキアノキアの旧ロゴ
1980年代には電子計算機部門に進出し、MikroMikko(フィンランド語版)ブランドでパーソナルコンピュータを生産した。後にこの部門はInternational Computers, Ltd. (ICL) に売却され、さらに売却先は富士通シーメンスと合併し、携帯電話部門に進出した。しかし、携帯電話部門の競争は激しく、経営は振るわず、1988年にはCEOのカリ・カイラモが自殺した[6]。
1990年代に深刻な経営危機に陥り、それまでの多角経営を見直し、大規模な業種の再編成を行った。携帯電話、携帯電話インフラ、他の電気通信分野に業務を絞り、テレビ受像機製造やパーソナルコンピュータ部門から撤退した。
2002年は高級携帯電話部門であるVertuを立ち上げた。2003年から2011年まで、日本でも事業を展開していた。ヨーロッパやアジア、アメリカ諸国でも事業を展開している。
2004年、小規模な経営合理化をおこなった。これはフィンランドにおけるノキアの印象を損ねるものとなった。それに伴い、テレビ番組での批判についての裁判を含むいくつかの訴訟が行われている[7]。 2005年、携帯業界を二分しているクアルコムに対するUMTS方式携帯電話の特許料率紛争において、ノキアは反クアルコム陣営の筆頭になった。 2006年春には、CDMA2000方式が世界的なスケールメリットを見込めないなどという理由で、CDMA2000方式の携帯電話の新規自社開発中止を表明。一時、CDMA2000方式の携帯電話を開発している三洋電機と合弁を計画したが、この話は破談となる。 また、6月にはSiemens Communications
クアルコムとの紛争
2007年4月、クアルコムとの相互特許ライセンス契約が失効した。2008年7月、クアルコムとの特許紛争について和解したことを発表した。2009年2月、クアルコムとスマートフォンの技術開発について提携することを発表した。 2010年2月、ノキアのMaemoとインテルのMoblinを合体させて、新しい携帯機器用Linuxプラットホームとして、MeeGoをインテルと開発することを発表した。これに伴いMaemoの開発は終了することになった[8]。 2011年2月11日、マイクロソフトとの戦略的提携を発表し、スマートフォンの領域では、シンビアンからWindows Phoneの開発に注力していく事を発表した[9]。2011年4月27日、ノキアはシンビアンおよび関係する社員3000人を2011年末までにアクセンチュアに移管することを発表した[10]。
マイクロソフト時代へ