ノエル・レディング
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ノエル・レディング
Noel Redding
ノエル・レディング(1967年)
基本情報
出生名David Noel Redding
生誕 (1945-12-25) 1945年12月25日
出身地 ケント州フォークストーン(英語版)
死没 (2003-05-11) 2003年5月11日(57歳没)
コーク県クロナキルティ(英語版)
ジャンルロックサイケデリック・ロックブルースロックフォークロック
担当楽器エレクトリックベースギターマンドリンヴァイオリンボーカル
活動期間1963年 - 2003年
共同作業者ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス、ファット・マットレス(英語版)、ロード(英語版)、ノエル・レディング・バンド、マウンテン

ノエル・レディング(Noel Redding、1945年12月25日 - 2003年5月11日)は、イギリスロックミュージシャン。本来はギタリストであるが、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスベーシストとして最も有名である。
略歴

生い立ち

1945年のクリスマスにケント州フォークストーン(英語版)に生まれる。三人兄弟の次男であり、兄のAnthony Reddingと 、妹のVicki Reddingがいる。スウェーデン人のクォーターであり、幼少期は母親のMargaret Reddingと、スウェーデン人の祖母のNellie Berggrenの元で過ごす。なお、父親に関しては自伝で「物心つく前に両親は離婚していて、僕は父親というものを知らなかった。」と述べている。

9歳の時に学校でヴァイオリン、12歳頃にマンドリン、14歳で初めてギターを演奏した。初めて聴衆の前で演奏したのはハーヴェイ・グラマー・スクールのハイス・ユース・クラブだった。

17歳でプロのミュージシャンとなり、ニール・ランドン(英語版)・アンド・ザ・バーネッツのメンバーとしてスコットランドドイツをツアーして回った。

レディングは1966年末にニュー・アニマルズのギタリストのオーディションに出かけたが、もうすでにギタリストが決まっていたため採用されず、ヘンドリックスのマネージャーで以前アニマルズのベーシストだったチャス・チャンドラーによってエクスペリエンスのベーシストに採用された。彼はそれまでベースの演奏経験がなかったものの、エクスペリエンスのデビュー曲「ヘイ・ジョー」を即興で行ったセッションで、チャンドラーとヘンドリックスに腕を見込まれた。彼は「オーディションに出かけた初日に生まれて初めてベースを弾かされ、経費をもらって次の日にもう一度オーディションに出向いた際、前日に弾いた曲のコード進行を覚えていたのでジミに驚かれた」と語っている。

エクスペリエンスは世界的な人気バンドになったが、レディングは並行して独自の活動を開始。1968年にはニール・ランドン(英語版)、ジム・レヴァートン、エリック・ディルトンらと共にファット・マットレス(英語版)を結成して、ギターを担当した。

1969年にエクスペリエンスを脱退[注釈 1]。彼は脱退後もヘンドリックスとは友人関係を保ったという説があるが、二人はエクスペリエンス時代から音楽的にも人間的にも衝突していたという説もある。

ファット・マットレスはエクスペリエンスほどの成功を得られず、レディングはデビュー・アルバム『ファット・マットレスへの期待』(1969年)発表の後に脱退した[注釈 2]。その後はアイルランドへ拠点を移して独自の音楽活動を行ない、シン・リジィトラフィックフィッシュとも共演した。

1990年に、口述筆記でCarol Appleby共著の自伝『ジミ・ヘンドリックス - リアル・エクスペリエンス (Are You Experienced?)』を出版。ヘンドリックスの人間性やバンドの内情、音楽業界への失望なども赤裸々に綴った。この自伝によると、彼は1974年にエクスペリエンス時代の素材は以降リリースしないからとロイヤリティ放棄の契約にサインするよう迫られ、ロイヤリティ買い切りとして10万ドルを受け取ったが、後には当時使用していたベースも売却せざるを得なくなったという。これはヘンドリックスの発掘音源等が頻繁に発売されたCD・DVD時代よりも前のことである。

2003年にアイルランドの自宅で死去。享年57歳。死の直前までヘンドリックスの遺産管理団体に対する訴訟を準備していた[1]


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