ネヴァー・セイ・ダイ
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この項目では、ブラック・サバスのアルバムについて説明しています。競走馬については「ネヴァーセイダイ」を、YUIの楽曲「Never say die」については「It's all too much/Never say die」をご覧ください。

『ネヴァー・セイ・ダイ』
ブラック・サバススタジオ・アルバム
リリース1978年9月28日
録音1978年 カナダ トロント Sounds Interchange
ジャンルヘヴィメタルハードロック
時間45分49秒
レーベルヴァーティゴ
ワーナー・ブラザース・レコード
プロデュースブラック・サバス
専門評論家によるレビュー


allmusic link

チャート最高順位

12位(イギリス[1]

37位(スウェーデン[2]

69位(アメリカ[3]

ブラック・サバス アルバム 年表

テクニカル・エクスタシー
(1976年)ネヴァー・セイ・ダイ
(1978年)ヘヴン&ヘル
(1980年)


ミュージックビデオ
「Never Say Die (Top of the Pops 1978)」 - YouTube
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『ネヴァー・セイ・ダイ』(原題:Never Say Die!)は、ブラック・サバス1978年に発表した8作目のスタジオ・アルバム
解説

1977年11月、オジー・オズボーンがバンドを一度脱退したため、ブラック・サバスは後任ボーカリストのデイヴ・ウォーカーを加えた編成で短期間ライヴ活動を行ったが、1978年1月にはオズボーンが復帰して、本作のレコーディングが行われた[4]。収録曲のうち「ジュニアーズ・アイズ」は、ウォーカー在籍時のライヴにおいて演奏されているが、本作のヴァージョンとは歌詞が異なる[5]。「スウィンギング・ザ・チェイン」ではビル・ワードがリード・ボーカルを担当しており、「ハード・ロード」では、普段は歌わないトニー・アイオミギーザー・バトラーがバックアップ・ボーカルを務めている[5]

前作『テクニカル・エクスタシー』(1976年)に続き、ヒプノシスがジャケット・デザインを担当した。後にレインボーのキーボーディストとなるドン・エイリーがレコーディングに参加している(オズボーンのアルバムにも一部参加)。

本作に伴うツアーの後、オズボーンは再びブラック・サバスを脱退してソロ活動に入り、バンドは後任としてロニー・ジェイムス・ディオを迎えることとなる。

『テクニカル・エクスタシー』と同様、本作も全英トップ10・全米トップ40入りを果たせなかったが、アメリカでは1997年にゴールド・ディスクに認定された[6]。本作からのシングル「ネヴァー・セイ・ダイ」は全英21位[1]、「ハード・ロード」は全英33位に達した[1]

ベースのギーザー・バトラーは後年のインタビューで、アルバム制作当時、オジーはこれまで築いたサバスらしさを求めていたが、自分とトニーは音楽的広がりを求めて、サバスらしさを排除する方向へ向かってしまった。その結果、バンドの本筋から外れ、サバスらしさが失われたものになってしまった。振り返ればおそらくオジーが正しかった。この作品は最悪の作品だと断言できると語った。また当時は、バンド自身がマネジメントやプロデュースをしようとしていたが、何をどうしたらいいのか誰も分かっておらず、ビジネスの雑務に時間を割き、スタジオでの曲作りをおろそかにしていたとも明かしている[7]
収録曲

全曲ともオジー・オズボーントニー・アイオミギーザー・バトラービル・ワードの共作。8.はインストゥルメンタル
ネヴァー・セイ・ダイ - "Never Say Die" ? 3:49

ジョニー・ブレード - "Johnny Blade" ? 6:28

ジュニアーズ・アイズ - "Junior's Eyes" ? 6:43

ハード・ロード - "A Hard Road" ? 6:06

ショック・ウェイヴ - "Shock Wave" ? 5:16

エアー・ダンス - "Air Dance" ? 5:18


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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