テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。検証可能性に基づき除去される場合があります。
ネルソンズ
メンバー青山フォール勝ち
和田まんじゅう
岸健之助
結成年2010年
事務所吉本興業
活動時期2010年4月 -
出身NSC東京校14期
出会い幼少期(青山・和田)
NSC(岸)
旧コンビ名和田・青山
ワダヤマブルー
岸
R2
ブラックストーン
カフェイン
ジャンボリー
青山
アグラセイザ
和田
けたけたおばけ
現在の活動状況テレビ・ライブなど
芸種コント
ネタ作成者青山フォール勝ち
現在の代表番組中川家&コント
ネタパレ
過去の代表番組有田ジェネレーション
同期ダイタク
ウエストランド
岡野陽一など
公式サイト公式プロフィール
【公式】ネルソンズチャンネル
YouTube
チャンネル
【公式】ネルソンズチャンネル
活動期間2019年 -
登録者数5.65万人
総再生回数1147万1737回
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002024-01-19-00002024年1月19日時点。
テンプレートを表示
ネルソンズは、吉本興業東京本社に所属する日本のお笑いトリオ。渋谷・ヨシモト∞ホールのレギュラーメンバー。 NSC東京校14期生出身。NSC時代から2009年まで活動していた青山久志と和田朋丈によるお笑いコンビ『ワダヤマブルー』に岸健之助が加入する形で2010年4月1日(M-1グランプリのホームページより)に結成[1]。トリオ名の由来は、レスリングの技であるネルソン・ホールドからきている。
来歴
2013年6月6日に初単独ライブ『脳みそまで筋肉とは言わせない』をヨシモト∞ホールで行った[2]。
2017年にNHK新人お笑い大賞、タウンワークプレゼンツBAKE-MON、にちようチャップリンお笑い王決定戦2017グランドチャンピオン大会といったコンテストに挑戦し、全て準優勝に終わるという珍記録を達成している。NHK新人お笑い大賞、にちようチャップリンお笑い王決定では翌2018年の大会でも、2年連続で準優勝となっている。
2019年3月にヨシモト∞ホールを卒業し、「CHANGE A+」メンバーとしてルミネtheよしもとに出演中。
2019年10月に『酒と話と徳井と芸人』(JOOKEY forスゴ得)に出演した際、岸が没頭できる趣味を見つけたいという話をきっかけにバンド活動を始める[3]。
2021年2月19日よりYouTube公式チャンネルの『ネルソンズチャンネル』で、毎週金曜日21時更新で音声のみの『ネルソンズのカスタムラジオ』を開始した。当初は毎週金曜日21時更新だったが、現在は毎週日曜日付近に更新となっている。
メンバー
青山 フォール勝ち(あおやま フォールがち、 1986年1月19日 - )(38歳)
本名および旧芸名:青山 久志(あおやま ひさし)
身長178cm、体重70kg、血液型B型。
島根県松江市出身。
松江市立第二中学校[4]、島根県立松江工業高等学校、東洋大学法学部企業法学科出身[5]。
4歳からアマチュアレスリングを始め、相方の和田とは中学の同級生[1]でありレスリング部で一緒だった。高校生時代に国体で準優勝、大学生時代には天皇杯でベスト8に入ったことがあるレスリングの元日本代表選手[6][7]。全日本強化指定選手にも選ばれ、アテネオリンピック、北京オリンピック出場を目指していたことがあった。ロンドンオリンピックで金メダルを獲得したレスリング選手の米満達弘は大学生時代にライバルだったという関係で対戦経験もある[8][9]。現在はキッズレスリングの講師としても活動している[10]。
学生時代は芸人のネタをコピーして全校生徒に披露するほどのお調子者だった。
和田と同様にワダヤマブルー時代のNSCのクラスは3CでEXITりんたろー。と同じクラスだった。
コントではごくまれに女性役を担当する。2019年の単独ライブ「一位」では1本だけ女性役を担当した。
2016年11月16日、自身のTwitterで改名することを発表した[11]。命名は相方の和田で、トークライブ中に「レスリングを推していくような芸名にしたらどうだ?」とその場のノリで決定した。
2019年9月15日、バラエティ番組『笑いが無理なら体張れ』(TBSテレビ)の収録中、着地した際に腕をひねり右肩甲骨関節窩骨折など全治8週間の怪我を負う。患部を固定した上で翌16日から仕事に復帰した[12]。
2021年10月9日、ヨシモト∞ホールのリーダーに就任した。青山自身はムゲンダイリーダーになりたいという気持ちはなかったが、松本竹馬(そいつどいつ)と海野裕二(ジェラードン)に推薦され、2021年9月に実施されたライブ[注 1]内でヨシモト∞ホール支配人である西尾を交えて検討されたのち、観客投票により満場一致で青山がリーダーを務めることが決定した[13]。
高校時代にボーカルとしてバンド活動をしており、マキシマム ザ ホルモンの前座を経験したことがある[3]。