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位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯19度45分 東経96度06分 / 北緯19.750度 東経96.100度 / 19.750; 96.100
行政
国 ミャンマー
連邦領ネピドー連邦領
市ネーピードー
ネピドー市長兼ネピドー会議議長Myo Aung
地理
面積
市域7,054.37 km2
人口
人口(2014年現在)
市域1,158,000人
備考都市的地域
その他
等時帯ミャンマー標準時 (UTC+6:30)
市外局番067
ネピドーまたはネーピードー(ビルマ語: , 発音 [nepjid??]; 英語: Naypyidaw, 英語発音: /?ne?pj??d??/)は、ミャンマーの首都。2006年に旧首都ヤンゴンに代わり首都となった。
地理大型ショッピングセンター
外国からの多数の観光客を見越して、高級ホテルが立ち並ぶ地区がある。また、有事の際には戦闘機の滑走路として使用することを想定しているとされる広い20車線の幹線道路が有る。近代的な3つの大型ショッピングセンター(映画館を併設したものもある)もあるが、大きな病院は無い。なお、ヤンゴンとは異なり、電力事情は極めて良好であるとされる[1]。
巨大な都市にレストランは20軒程もなく、駐在員は自炊を強いられる。そのため、在ミャンマー日本国大使館や商社などの駐在員の多くはヤンゴンから移転せずにいる。
また、行政首都には一般人は立ち入り禁止で、商人は商業地区に隔離されている。軍の司令部なども政府庁舎とは離れた地区に所在している。軍事パレードが行われる広場には、ビルマ史上の偉大な王であるアノーヤター、バインナウン、アラウンパヤーら三人の巨像が並んでいる。
2011年10月19日に巨大なネピドー国際空港が完成し、国内線のほかは開港当初は国際線は就航していなかったが、現在は、タイ王国・バンコク線、インド・インパール線、中国・昆明線が就航している。
東京ドーム70個分に相当する大きさの国会議事堂は2010年6月頃に完成[2]。2010年の総選挙の結果を受け、2011年1月に22年ぶりの連邦議会が新しい議事堂で開催された[3]。 ネピドーの気候 2003年夏より、ピンマナの西数キロの軍用地だった場所で新行政首都の建設が始まるも、移転計画が明らかになったのは2005年の中頃であった。遷都は急過ぎて不可能とする見方も多かったが、ミャンマー政府は同年11月7日に移転を開始し、省庁・政府機関の職員達はトラックでヤンゴンからピンマナへと向かった。翌2006年3月27日の国軍記念日には新首都で内外の報道陣を招き軍事パレードが開かれている。この席で、ミャンマー政府は首都地域をネピドー(, Naypyidaw, 「王都」「首都」の意)と呼ぶことを公式発表、10月10日には公式に遷都を発表した[注釈 1](日本の外務省ではネーピードーとしている)。ミャンマー連邦議会 (Hluttaw) ビル 遷都の理由は公表されていないが、メディアや研究者による見方を以下に記述する。
気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)30
(86)34
(93)36
(97)38
(100)35
(95)32
(90)31
(88)30
(86)32
(90)32
(90)31
(88)29
(84)32.5
(90.5)
平均最低気温 °C (°F)14
(57)16
(61)20
(68)24
(75)25
(77)24
(75)24
(75)24
(75)24
(75)23
(73)20
(68)16
(61)21.2
(70.2)
降水量 mm (inch)5
(0.2)2
(0.08)9
(0.35)33
(1.3)154
(6.06)160
(6.3)198
(7.8)229
(9.02)186
(7.32)131
(5.16)37
(1.46)7
(0.28)1,151
(45.33)
平均降水日数101314212324191241123
出典:Weather2Travel.com Retrieved March 26, 2013
歴史
遷都に至る経緯
旧首都ヤンゴンは人口が密集し交通も混雑している。市内にはもはや政府機関を拡張するための余地がないため[4]。
アメリカからその専制を批判されているミャンマーが、イラク戦争同様に侵攻を受けた場合、内陸に位置するネピドーは海に近いヤンゴンより占領されにくく、より戦略的に有利な位置にあるからだという見方[5]。
ネピドーはカレン州、シャン州、チン州など少数民族の多い州(ピーネー)に近く、かつ上ビルマと下ビルマの結節点に位置しており、国内の治安維持を重視したという説[6][5][注釈 2]。
元首で上級大将のタン・シュエのお抱え占星術師の命令によるものだという、ミャンマーの社会で広く信じられている説。タン・シュエの運勢が下降しており、早急に首都を移転させないと政権の命運が尽きるという予言があったとされる[5]。2005年11月9日のマレーシアの英字紙、ニュー・ストレーツ・タイムズは『首都移転の影に占星術師』のタイトルの記事を掲載している。また、2011年8月9日の日本のテレビ番組、教科書にのせたい!ではこの説が放送された。