ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派
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ネパール政党ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派
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ラテン文字転写:Nepal Kamyunist Party Ekikrit Marksbadi-Leninbadi
党首K.P.シャルマ・オリ
成立年月日1991年1月6日
2021年3月7日(復活)
解散年月日2018年5月17日(後に取り消し)
解散理由ネパール共産党 (毛沢東主義派中央)と合併(後に無効)
後継政党ネパール共産党(後に解党)
本部所在地カトマンズ、Balkhu
政治的思想・立場共産主義
マルクス・レーニン主義
人民多党制民主主義
左翼
国際組織共産党・労働者党国際会議
公式サイト ⇒UML official site
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ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(ネパールきょうさんとうとういつマルクス・レーニンしゅぎは 英語:Communist Party of Nepal Unified Marxist-Leninist、ネパール語:????? ?????????? ?????? ?????? ???????????-???????、ラテン文字転写:Nepal Kamyunist Party Ekikrit Marksbadi-Leninbadi)は、ネパール政党

比較的穏健な共産主義政党ネパール制憲議会の議席数は第1党であるが、過半数を取る政党がなく、キャスティング・ボートを握ることもあり、有力な存在である。
概要党本部

日本では統一共産党と略称されることが多いが、日本外務省のホームページでは「共産党UML」と表記しており、そのほかに「統一共産党」(おそらくユナイテッド派かユニファイド派のいずれか)があるとしている。なお英語略称はUML、ネパール語略称はエマレである。

現党首はK.P.シャルマ・オリ(2018年より首相)。このほか元書記長のマーダブ・クマール・ネパールが2009年5月から2011年2月、元議長ジャラ・ナート・カナールが2011年1月から8月の間、首相を務めている。

2008年8月15日制憲議会での首班指名ではキャスティングボートを握り、プラチャンダ政権を誕生させ、連立与党になった。8月31日副首相バム・デーブ・ガウタムを含む6人の閣僚が就任した[1]。しかし、プラチャンダ首相が国軍参謀総長を解任したのに反発し、2009年5月4日、連立を離脱し、翌日、プラチャンダは辞任に追い込まれた。

2009年5月23日ネパール制憲議会において、元書記長マーダブ・クマール・ネパールが22党の支持により、第57代首相に無投票で選出された。統一毛派など3党は投票をボイコットした[2]

なおネパールには共産党系の政党が多く、"ネパール共産党連合派"・ネパール共産党統一派"・"ネパール共産党マルクス・レーニン主義派"など紛らわしい別の党派も存在するので注意を要する。
歴史
結党

1991年ネパール共産党マルクス主義派ネパール共産党マルクス・レーニン主義派が合同して結成。ジャナ・アンドラン国民運動の一つの成果と言われている。2002年にネパール左派共産党が合流。

1993年党大会が開かれ、議長マン・モハン・アディカリ(旧マルクス主義派)、書記長にマダン・クマール・バンダリー(旧マルクス・レーニン主義派)が就任する。ところが、まもなく、バンダリは謎の交通事故(殺人を疑われている)で死亡する。後任の書記長にはマーダブ・クマール・ネパール(旧マルクス・レーニン主義派)が就任し、アディカリを支えた。
アディカリ政権

1994年立憲君主制下で与党としてマン・モハン・アディカリ内閣を組織し、王室と共産党政権の共存を果たした。しかし議会内で少数与党だったので、ネパール会議派国民民主党により内閣不信任案が可決され、短期で政権が崩壊した。
分裂と再統合

1998年、統一共産党はインドとの条約をめぐって分裂し、サハーナ・プラダンを党首とし、バム・デーブ・ガウタムを書記長として「ネパール共産党マルクス・レーニン主義派」(第2期)が結成された。


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