ネバーランド・ランチ
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ネバーランド・ランチ
Neverland Ranch
2008年8月に撮影されたネバーランドの遊園地
所在地ロス・オリヴォス(英語版)
サンタバーバラ郡
カリフォルニア州
アメリカ合衆国
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度44分28秒 西経120度05分30秒 / 北緯34.74107度 西経120.09158度 / 34.74107; -120.09158座標: 北緯34度44分28秒 西経120度05分30秒 / 北緯34.74107度 西経120.09158度 / 34.74107; -120.09158
所有者コロニー・キャピタルマイケル・ジャクソンの遺産管理財団の共同所有
面積2,700エーカー (1,100 ha)
現況閉鎖
ネバーランドの門

シカモア・バレー・ランチ(Sycamore Valley Ranch)[1]は、カリフォルニア州サンタバーバラ郡の開発された土地である。かつてはネバーランド・ランチ(Neverland Ranch[注釈 1][3]、または単にネバーランド)という名称で、1988年から2005年までマイケル・ジャクソンの自宅兼プライベート遊園地だったことで知られている[4][5][6]

元々はザカ・ラデラス・ランチ(Zaca Laderas Ranch)という名前だったが、1981年不動産開発業者のウィリアム・ボーンが購入した後シカモア・バレー・ランチに変更された[4]。1988年にジャクソンに売却され、彼はピーター・パンの物語に出てくる架空の島、ネバーランドにちなんでネバーランド・ランチに名前を変更した[4][5]。ジャクソンが初めてこの牧場を訪れたのは、1983年に『セイ・セイ・セイ』のビデオ撮影中にここに滞在していたポール・マッカートニーを訪ねたのがきっかけだった。ラトーヤ・ジャクソンによれば、それ以来、マイケルはいつかここを所有したいと興味を示していたという[7]

ネバーランドは、ロス・オリヴォス(英語版)の町の北約8キロメートル、サンタ・イネズ(英語版)の町の北約13キロメートルに位置し、ロス・パドレス国有林(英語版)の端にある。西にはチェンバーリン・ランチがあり、北にはラ・ラグーナ・ランチがある。サンタ・バーバラ郡の評価官事務所によると、ネバーランドの面積は約2,700エーカー(1100ヘクタール)である[8]

2020年現在、ネバーランドはコロニー・キャピタルとマイケル・ジャクソンの遺産管理財団が共同所有しており、売却のために開園と閉園を繰り返している[9]。コロニー社は投資家の隠れ家として利用したり、セレブをもてなすために利用していると報じられている。同年12月24日には投資家のロナルド・バークル(英語版)がネバーランドを2200万ドル(約226600)で購入することが発表された[10]
背景

1981年に不動産開発業者のウィリアム・ボーンが購入した時、ここはザカ・ラデラス・ランチと呼ばれていた[4]。ボーンはシカモア・バレー・ランチと改名し、家族と共にこの地に移り住んだ。ボーンは建築家のロバート・アルテバースに主要な建物の設計を依頼し、2人は2年半をかけて建物の設計を練った。13,000平方フィート(1,200平方メートル)の母屋は、アルテバースの設計に基づいて1982年に完成した[11]。庭園、石造りの橋、5フィートの滝のある4エーカーの湖もあった。ボーンは後に、この家を建てる際に「15年間の家づくりの経験から学んだことを全て表現したいという思いがあった。私はここで、ビジネスでやりたかったができなかったことを全て達成した」と語った[12]。彼はここにゴルフ場を開設することも検討したが、実施しなかった[13]
マイケル・ジャクソンの自宅ネバーランド内の鉄道駅・キャサリン駅と、駅前の花時計[14]

ジャクソンは1988年にボーンからこの土地を購入した[15]。購入額は明かされていないが、推定では1,950万ドルとも[16][17]3,000万ドルとも[18][19]言われる。この不動産は当初、プライバシーを考慮して、ジャクソンの弁護士ジョン・ブランカと彼の会計士マーシャル・ゲルバンドを受託者とする信託によって購入された。1988年4月にジャクソンがこの取り決めを取り消し、彼が直接の所有者となった[20]。ここは、ジャクソンの自宅であると同時に、多数の彫刻のある庭園やペットの動物を飼う動物園があるプライベートな遊園地でもあった。

敷地内には3つの鉄道があった。1つは「ネバーランド・バレー鉄道」と名付けられた軌間3フィート(914 mm)の狭軌で、母の名を冠してキャサリンと名付けられた蒸気機関車(クラウン・メタル・プロダクツ(英語版)社1973年製 車輪配置 4-4-0(2B))と2両の客車を走らせていた。2つ目は軌間2フィート(610mm)の狭軌で、チャンス・ライド(英語版)社製のC・P・ハンティントン(英語版)のレプリカ機関車を走らせていた[21]。3つ目は、ジャクソンが自分の子供のプリンス、パリス、ブランケットのために購入した特注の電車である。この列車は、2001年ドイツのElektro-Mobiltechnik社が製造したものである。この列車は、母屋の裏にあるヤードに設置され、100フィートの線路を走行していた[22]

観覧車メリーゴーラウンド、ジッパー、オクトパス、海賊船回転ブランコ、スーパースライド、ジェットコースター、バンパーカーなどの遊具もあった。

ネバーランドでは、1991年エリザベス・テイラーとラリー・フォーテンスキー(英語版)の結婚式、1993年にオプラ・ウィンフリーによるジャクソンの生インタビューが行われ、1995年にはジャクソンと当時結婚していたリサ・マリー・プレスリーが世界中の子供たちを招いたイベントが行われた[23]

2003年には、ジャクソンの児童性的虐待疑惑によりネバーランドも警察官による捜索を受けた。ジャクソンは全ての容疑に対して無罪を勝ち取った。しかし、ジャクソンは、もはやここを家とは考えておらず、二度とこの土地には住まないと述べ、ネバーランドに戻ることはなかった[24]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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