ネクタイ(英語: necktie、和名:襟締、えりじめ)とは、男性の洋装で、首の周りに装飾として巻く布。多くの場合、ワイシャツの襟の下を通し、喉の前で結び目を作って体の前に下げる。首に巻く細い方を小剣(スモールチップ)、前方に下げる太い方を大剣(ブレード)という。英語では普通「タイ(tie)」と省略される。
制服として女性がネクタイを着用する場合や、カジュアルなファッションアイテムとしてネクタイを着用する場合もある。 ネクタイの起源については諸説あるが、現在のネクタイの原型ができたのは17世紀頃とされる。ネックウェアの歴史は古く、着用例としては秦の始皇帝陵の兵士にはスカーフ状の布を首に付けているものがある[1]。また、古代ローマでは兵士がファカールという細い布を首に結んでいた[1]。しかし、古代のものと現代のものには大きな隔たりがあり、古代末期になるとこれらはあまり見られなくなり、16世紀初めまで男性は首まわりを見せる服装が主流だったといわれている[1]。 16世紀半ばになり、ヨーロッパでは巨大なレースのひだ襟が流行し、その流行が終わった17世紀にネクタイの原型が現れたとされている[1]。フランス語などではネクタイをクラバット(Cravate
歴史
ルイ14世が見たクラバット
クロアチアの兵士は無事な帰還を祈って妻や恋人から贈られたスカーフを首に巻いていたが、一説によるとそれを見たルイ14世が興味を示し、側近の者に「あれは何か」と尋ねたところ、側近の者は(スカーフについてではなく)クロアチアの兵士について尋ねられたと勘違いし、「クロアチア兵(クラバット)です」と答えたため、その布をと呼ぶようになったという逸話がある。しかし、この説には14世紀にはすでにフランスでcravateという語は使われていたという反論がある。
どちらにせよ、1660年ごろに人気のあったクラバットは、単に幅広のネッカチーフを首に巻いたものに過ぎなかった[2]。
さらに18世紀は男性服の歴史の集大成と言える時代とされているが、ネクタイは現代に比べると色も形も結び方もほぼ変化がなく個性的なものは見られなかった[1]。
イギリスに於けるタイの発展ネッククロスの結び方
19世紀後半にイギリスでクラバットの結び目のみを残したものが作られた。これがボウ(蝶ネクタイ)である。
アスコット競馬場に集まる際の服装としてアスコットタイ、ダービー・タイが生まれ、正装になったのもこの頃である。
同時期に、現在の主流となるネクタイと同じ形であるフォア・イン・ハンド・タイが生まれる。ネクタイの基本的な結びかたのひとつであるプレーンノットを別名フォア・イン・ハンド(four-in-hand)というのはここからきている。フォア・イン・ハンドの発祥については諸説ある。ひとつは、フォア・イン・ハンドは、4頭立ての馬車のことであるため、御者の間でこのネクタイが使われたことから広まったという説である。また、オスカー・ワイルドがこのネクタイを考案したという説もある。
また、ネッククロス(顎布)と呼ばれるひも状のネクタイがあり、19世紀初めに、当時の社交界の伊達男、ジョージ・ブライアン・ブランメルによって広められたという説(イギリス)がある。 フランスではフランス革命以後、貴族的なものが排除され、ネクタイも意図的にくしゃくしゃに結んだりネクタイをしないことが流行した[1]。しかし、王政復古時代に入りナポレオンが宮廷趣味を取り入れたことでネクタイは復活したが、そこでは宮廷服に合わせたレースのジャボのついた白い大型のものと、日常服のアビ・デガジェに合わせた白い無地のスカーフ状のものの2つに分かれた[1]。 19世紀半ばになると白のネクタイが一番上品で洗練されたものと考えられるようになり、燕尾服にホワイトタイの礼装の原形が完成した[1]。 一方、19世紀の7月王政以降、フランスの男性衣料は着やすさなどの機能性を重視した単純化への傾向を強めた。階級間の服装の平準化が進み、誰も彼もが一様に黒い帽子、黒の上下に白のシャツという「からす男」とも揶揄されるファッションが流行した[3]。 そんなモードの中で、ネクタイは男性衣料のなかで贅沢ができる数少ない場所のひとつとなった。バルザックの『お洒落の生理学』を始め、多くのネクタイ論の本が出版された。当時の人々はネクタイをすることは紳士の最低限の務めと考え、ネクタイを見ればその人の社会的地位、育ち、政治的意見までひと目で分かると考えていた[3]。ダンディズム論の論客ロジェ・ケンプによれば、1830年代にはすでに72種類のタイの結び方が考案されていたという。ユニークで複雑過ぎるネクタイは、それを結ぶことのできる時間的な余裕や忍耐力を表す、上流階級同士の相互確認の暗号として機能していた[3]。 1860年頃になりネクタイの形状は大きく変化し、白いスカーフ状だったタイから細いネクタイが日常的に身に着けられるようになった[1]。 初めてネクタイをした女性はラ・ヴァリエールでルイ14世のスタイルを取り入れたものとされている[1]。19世紀半ばには「リオンヌ」と呼ばれるフェミニズムの女性たちがファッションに取り入れた[1]。さらに19世紀末に流行したテーラード・スーツにもレガートやラ・ヴァリエール(前述の夫人に由来する蝶結びのネクタイ)の形式のネクタイを合わせるファッションが流行した[1]。 女性用ネクタイの流行は19世紀末がピークとなり、1920年代のギャルソンヌ時代に多少取り入れられたが大きな広がりはなく、個人的なお洒落として取り入れられるアイテムとなった[1]。 1851年にジョン万次郎が長崎奉行所の取調べを受けた際の所持品の記録に「白鹿襟飾三箇」とあり日本人で最初にネクタイを着けた人物とみられている[1]。1867年の「西洋衣食住」(片山淳之助著)には「襟締(ネッキタイ)」として絵入りで記載されているが細長い紐状のものにすぎない[1]。 長さの主流は、現在139cm±1cmといったところ(メーカーにより多少の差はある)。輸入品は160cm辺りとやや長くなっている。背広のラペルの幅とワイシャツの衿の幅、ネクタイの大剣の幅を合わせると見た目も揃う。
フランスのタイ
女性ファッション
日本における歴史
ネクタイの種類
形状
通常の幅
ダービー・タイ - 大剣の程が7cm - 9cmの幅のネクタイ、多くの人に用いられる。別名「レギュラー・タイ」
通常のフォア・イン・ハンド・タイの変形
タワーシェイプタイ - エッフェル塔のような形をしたもの。結び目の部分は小さく先に向かって塔のように広がっている。
バーシェープドタイ - 剣先まで幅が同じもの。
ボトルシェープドタイ - ワインボトルのような形のもの。真ん中あたりからボトル形に膨らんだもの。
ニットタイ - 編んだネクタイ、無地はビジネスに適している。ナロータイほど4 - 6cmの幅でネクタイの先端を切ったカットタイが多いが、通常のダービー・タイ7cm - 9cmの幅の物やネクタイの先端が付いている物も存在する。黒無地はホテルやレストランでも着用可能。クール・ビズで着用されることもある。絹製が多いが、綿や麻も存在する。
フレスコ(ポーラ)タイ - 凸凹の織り方で出来たネクタイ、ストライプ柄が多い、ニットタイの一種。
細めのもの
ナロー・タイ - 大剣の幅が4?6cmと狭いものを「スリム・タイ」とも呼ぶ。
太目のもの
ワイド・タイ - 大剣の幅が10cm以上のもの
礼装用
モーニングタイ
アスコット・タイ - スカーフのような幅広のタイ。昼の礼装として使用される。又の字と呼ばれ、斜めに切られた形状をしている。ワイシャツの襟元に結びつける。
白ネクタイ - 白いネクタイ、略式の慶事に用いられる、無地や縞柄、ペイズリーなどの模様がある。
葬儀・法要ネクタイ - 黒や鈍色、勝色の無地で出来たネクタイ。
ボウタイ(蝶ネクタイ) - 夜の礼装として用いる。カリフォルニア・ハイウェイパトロール
ピアネス・タイ(クリップ・オン、プレ・タイド) - 初めから結び型があって、首の側面や後ろ側で金具、マジック テープなどで止める。
ツウ・タイ(バット・ボウ) - 長い紐状のものを、蝶型に手で結ぶ。
バタフライタイ - 蝶が羽を広げたような形のもの。フォーマル用。
クラブボウタイ - 結んだときに両翼が一直線になるもの。