公用語英語
主都チャールズタウン
最大の都市チャールズタウン
政府
国王チャールズ3世
首相マーク・ブラントリー(英語版)
副総督Hyleta Liburd[1]
面積
総計92.5km2(国内2位)
水面積率極僅か
人口
総計(2017年)12,646人(国内2位)
人口密度137人/km2
成立
コロンブスの発見1493年11月12日
イギリス植民地1628年7月22日
独立、自治政府設立1983年9月19日
通貨東カリブ・ドル(XCD)注1
時間帯UTC-4 (DST:なし)
ISO 3166-1KN / KNA注1
ccTLD.kn注1
国際電話番号1-869
注1:セントクリストファー・ネイビスのデータ。
ネイビス島 (ネイビスとう、Nevis) はカリブ海の小アンティル諸島のリーワード諸島、セントクリストファー島(セントキッツ島)の南にある島。セントクリストファー・ネイビス連邦に属しており、自治政府が設置されている。面積は92.5km2[2]で人口は12,646人(2017年推定[3])、首都はチャールズタウン。 火山島で最高地点はネイビス山
概要
島にあるバースという小さな村はネイビス島の有名な温泉地で、1778年に温泉源近くに建てられたバース・ホテル&スプリング・ハウスがある。18世紀以来、治療・温泉浴目当てに、西インド諸島やヨーロッパから船でやって来る観光客向けに建てられた、カリブで最も歴史あるスパリゾートホテルである。
島の名である「ネイビス」とは、スペイン語の雪を意味する「ニエベ」が由来。コロンブスが発見した時、島の山(後のネイビス山)の頂上が真っ白な雲に覆われている様子を見て、山の頂上が雪に積もっていると勘違いした事から雪を意味するネイビスと名付けた。
北にはセントクリストファー島とその間(ナローズ海峡(英語版))に無人島のブービー島が浮かぶ。南にはアンティグア・バーブーダ領のレドンダ島(無人島)がある。 1493年にクリストファー・コロンブスによって発見され、1628年にイギリスの植民地となった。1755年、のちにアメリカ合衆国憲法の草案者となるアレクサンダー・ハミルトンが誕生した。 西インド諸島のイギリス植民地による西インド連邦が失敗に終わった後、セントクリストファー島、アンギラ島と共にセントクリストファー=ネイビス=アンギラ自治領を形成した。しかし、首都が置かれたセントクリストファー島主導の政治にアンギラは反発し、2度の独立騒動を経て自治領から脱退した。ネイビス島でも離脱の機運が高まり、1977年8月18日にネイビス改革党(NRP)が離脱を問う住民投票を実施。4,220人の投票者のうち4,193人が離脱に賛成したが、自治領政府は結果を認めなかった。 抵抗運動はあったものの、結局セントクリストファー島と共に1983年にイギリスからセントクリストファー・ネイビスとして独立した。その代わり憲法では連邦制、ネイビス島への自治権の付与、ネイビス島の離脱に関する取り決めが盛り込まれた。こうしてネイビス島には自治政府が設置されたが、政権を握ったネイビス改革党(NRP)、ネイビス市民運動のバーンス・アモリーは連邦政府のセントクリストファー島に対してネイビス島の自治権の拡大を要求し、1997年にはネイビス島の分離独立を決議。翌1998年、憲法の規定にのっとりネイビス島で分離独立を伺う住民投票が行われ、61.8%が分離独立に賛成したが、独立に必要な三分の二(66.7%)を獲得出来ず、ネイビス島の分離独立はならなかった。
歴史
略年表[1]
1493年11月12日:コロンブスの「発見」。
1628年7月2日:イギリスの植民地となる。
スペインの占領(1629年6月17日 - 1630年)
1671年1月25日:リーワード諸島植民地へ編入。
アンティグア島の直轄下(1701年 - 1704年)
フランスの略奪(1706年3月21日)
フランスの占領(1782年2月14日 - 1783年9月3日)
1816年:セントクリストファー=ネイビス=アンギラ=ヴァージン諸島の形成。