ネイト・シャーホルツ
Nate Schierholtzサンフランシスコ・ジャイアンツでの現役時代
(2011年7月15日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ネバダ州リノ
生年月日 (1984-02-15) 1984年2月15日(40歳)
身長
体重6' 2" =約188 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション外野手
プロ入り2003年 MLBドラフト2巡目(全体63位)
初出場MLB / 2007年6月11日
NPB / 2015年4月19日
最終出場MLB / 2014年9月28日
NPB / 2015年9月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
サンラモンバレー高等学校
オリンピック
アメリカ合衆国
男子 野球
オリンピック
銅2008野球
ネイサン・ジョン・シャーホルツ(Nathan John Schierholtz、1984年2月15日 - )は、アメリカ合衆国・ネバダ州リノ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。
広島東洋カープ在籍時には「ネイト・シアーホルツ」という表記で登録されていた[1][2]。 2003年のメジャーリーグ(MLB)ドラフト2巡目(全体63位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名され、6月25日に契約。当時は三塁手だったが、入団後に右翼手へ転向した。 2007年6月11日のトロント・ブルージェイズ戦でメジャーデビューを果たした。 2008年はシーズンの大半をマイナーで過ごした。シーズン中の8月に開催された北京オリンピックの野球アメリカ合衆国代表に選出された。同大会では銅メダルを獲得している。 2009年以降は主に「第4の外野手」としてメジャーに定着。 2010年には、自身初めてワールド・シリーズを経験した。 2012年7月31日にハンター・ペンスとのトレードで、トミー・ジョゼフ、セス・ロジンと共にフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[3]。移籍した原因は、ジャイアンツでの出場機会が減少した事を報道陣に言及した事だと言われている[4]。オフにFAとなった。 2012年12月21日にシカゴ・カブスと年俸225万ドル+出来高50万ドルの1年契約を結んだ[5]。 2014年は開幕から99試合に出場していたが、打率.192・6本塁打・33打点・4盗塁と結果を残せず、8月6日にDFAとなった[6]。 2014年8月18日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結び[7]、23日にメジャー昇格[8]。オフにFAとなった。 2015年2月6日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ[9]。シーズン開幕前の3月28日にFAとなった。4月3日に広島東洋カープと1年契約で合意した[10]。登録名は「シアーホルツ」で、背番号は57。推定年俸は116万2000ドルで、外国人選手の契約初年度の年俸としてはチーム史上最高額とされた[11]。広島東洋カープでの現役時代 同年は4月19日の対中日ドラゴンズ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)にスタメンでNPB公式戦デビューを果たしたが、同月中の通算打率が.080にとどまるほどの不振に陥り、5月1日に出場選手登録を抹消された。5月15日の再登録後は、同月中に打率.377、4本塁打、11打点と復調。一時4番打者に起用されるなど、6月以降も好調が続いた。しかし、8月2日に熱中症で再び登録を抹消されると、腰痛の発症などでコンディションが整わずに一軍と二軍を往復[12]。結局、8月・9月の2ヶ月間で、一軍公式戦での通算打率が.120と低迷した。シーズン通算では、一軍公式戦で打率.250、本塁打10、打点30を記録したものの、得点圏打率が.218と勝負どころでの弱さを露呈。10月には、球団から翌年の契約を結ばないことを通告された[12]。 2015年12月24日にデトロイト・タイガースとマイナー契約を結び、2016年のスプリングトレーニングには招待選手として参加することになった[13]。 2016年5月23日にFAとなる。 2016年8月5日にMLBが薬物規定違反で80試合の出場停止処分を科したと発表した。ヒト成長ホルモン分泌促進剤で運動能力向上薬でもあるイブタモレンの陽性反応があったという[14]。
経歴
プロ入りとジャイアンツ時代
フィリーズ時代
カブス時代
ナショナルズ時代
広島時代
(2015年8月29日、阪神鳴尾浜球場にて)
タイガース傘下時代
タイガース傘下退団後
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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