ネイチャー
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この項目では、イギリスの学術雑誌について説明しています。同名の韓国の女性アイドルグループについては「NATURE (音楽グループ)」をご覧ください。

Nature 


略称 (ISO)None
学術分野学際
言語英語
詳細
出版社Nature Research
シュプリンガー・ネイチャーの一部門)
出版国イギリス
出版歴1869年以降継続
出版間隔週刊
インパクトファクター43.070(2019年)
分類
ISSN0028-0836 (印刷物用)
1476-4687 (ウェブ用)

外部リンク


公式サイト

Nature 。Nature Portfolio

プロジェクト:出版Portal:書物
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ネイチャー(Nature)は、イギリスロンドンを拠点に設立された、国際的な週刊科学ジャーナルである。総合科学学術雑誌であり、科学技術を中心としたさまざまな学問分野からの査読済みの研究雑誌を掲載している。国際的な科学出版会社シュプリンガー・ネイチャーの傘下であり、米国ヨーロッパアジアの各国に中核的な編集事務所が設置されている。2019 Journal Citation ReportsのScience Editionによると、世界で最も引用されている科学ジャーナルの1つであり(インパクトファクターは42.778)[1]、世界で最も読まれ、最も権威のある学術ジャーナルの1つになっている[2][3]。2012年現在[update]、オンライン上では月に約300万のユニークアクセスがあった[4]

雑誌名は英語で「自然」の意味。

1869年の秋に設立されたネイチャーは、科学革新のための公開フォーラムとして、ノーマン・ロッキャーアレクサンダー・マクミランによって最初に配布され、20世紀半ばに至るまでにジャーナルの掲載範囲は大きく拡大された。雑誌の記事の多くは学術論文が占め、他に解説記事、ニュースコラムなどが掲載されている。記事の編集は、イギリスのNature Publishing Group (NPG) によって行われている。1980年代後半から1990年代初頭にかけて、英国外に編集局のネットワークを構築し、10の新しい補足的な専門出版物を設立し(例:ネイチャージェネティクスネイチャーマテリアルズなど)、いずれも高いインパクトファクターを持つ。2000年代後半以降、毎週、専用の社説と時事のコラムの作成、および選挙による承認が行われている。ジャーナルの主要な情報源は研究者であり、これは創立時から変わっていない。編集する際の基準は、主に技術的な読みやすさに関係している。各号には、科学界が一般的に関心を持っている記事、つまりビジネスや資金調達、科学倫理、研究の飛躍的進歩といった内容も掲載される。また、書籍、芸術、短いサイエンスフィクションの物語に関するセクションもある。

ネイチャーに掲載される主な研究は、軽度に編集された形式の論文(アーティクル〔原著論文〕またはレター〔書簡〕)が中心である。文章量の制限があるため、掲載論文は非常に技術的で内容の密度が濃くなる場合が多い。科学的または技術的分野における革新や飛躍的進歩となるような研究は、レターやニュース記事のいずれかとしてジャーナルに掲載される。ネイチャーに掲載された論文は高い研究水準を維持していることが多く、国際的にも高く評価される。一方でネイチャーは社会的に高く認知されているが故に、学術不正や科学的方法、およびニュース報道の取り扱いについて、昔から論争が起きてきた。提出された論文のうち、実際に掲載されるものは8%未満である[5]。2007年、ネイチャーはScience(サイエンス)誌と共に、アストゥリアス皇太子賞コミュニケーションおよびヒューマニズム部門を受賞した[6][7]

ネイチャーに掲載される論文の学術的な評価はサイエンスと並んで高いが、会員からの寄付で成り立つサイエンスとは異なり、ネイチャーは商業誌である。2013年、ノーベル賞受賞者であるランディ・シェクマンがこのネイチャーとサイエンスセルの3誌は商業主義に陥っていると批判、絶縁宣言をした[8]
歴史
時代背景

19世紀の科学と数学の大きな進歩は、英語だけでなく、ドイツ語フランス語で書かれたジャーナルに記録されていた。19世紀後半のイギリスは、テクノロジーや工業の大きな変化や進歩を経験した[9][10]。この時代に評価が高かった科学誌としては王立協会の審査つき科学誌があり、アイザック・ニュートンマイケル・ファラデーチャールズ・ダーウィンなども寄稿していた。1850年代から1860年代にかけて、ポピュラーサイエンスの定期刊行物が倍増した[11]。このような刊行物は「科学の器官」として機能し、人々と科学とを繋ぐ手段となっていた[11]

ネイチャーが刊行された1869年以前から、当時すでにこうした類の定期刊行物はいくつも存在していた。例えばネイチャーに先行していたものとしてはRecreative Science: A Record and Remembrancer of Intellectual Observationが挙げられる[12]。これは1859創刊で、当初は自然史を扱うもので、後に物理分野での観察的な科学や技術的な主題を扱うようになり、自然史はあまり扱わなくなった[13]。タイトルも何度か変更された[14]。具体的には、'Intellectual Observer:A Review of Natural History、Microscopic Research、and Recreative Science' [15]、'Student and Intellectual Observer of Science、Literature、and Art'、などに変更された[16]。この雑誌は、天文学考古学などのより多くの物理科学を含めることを試みたが、Intellectual Observerはさらに拡大して文学や芸術も内容に含めるようになった[16]。他にも、1862年創刊のPopular Science Reviewは、Scientific SummaryやQuarterly Retrospectというタイトルのサブセクションを作成してさまざまな科学分野をカバーし、最新の科学作品に関する書評と解説を掲載した[17]。他にイギリスで創刊されたジャーナルには、1864年創刊のQuarterly Journal of Scienceや、1868年創刊Scientific Opinionがある[16]。ネイチャーに内容的に密接に関連するジャーナルとしては、1863年創刊のThe Readerが挙げられる。この雑誌はPopular Science Reviewと同様に、科学コミュニティの外部の聴衆に購読してもらうことを目的として、科学以外にも文学や芸術分野も範囲に含まれていた[16]

しかしながら、このような似たりよったりの定期刊行物は、結局ほとんどうまく成功しなかった。最も長く続いたPopular Science Reviewですら20年しか続かず1881年に廃刊。Recreative Scienceも、Student and Intellectual Observerも1871年に廃刊。The Quarterly Journalは編集者の交替の後1885年に廃刊。The Readerは1867年廃刊。Scientific Opinionは2年しか続かず、1870年6月に廃刊した[18]
創刊最初のタイトルページ、1869年11月4日

このような時代背景の中、The Reader誌の失敗からしばらくして、その元編集者だった天文学者ノーマン・ロッキャー によって、ネイチャーが1869年11月4日創刊された[19]。ここで掲げられていたエピグラフは、ロマン派の詩人ウィリアム・ワーズワースのソネット集第36番「A VOLANT TRIBE OF BARDS ON EARTH ARE FOUND」(1823年)からの引用である[20]

To the solid ground of Nature trusts the mind that builds for aye. (自然の堅固な地盤に、永久に築き上げる心を託す。)[21]

ネイチャーは、当初はマクミラン社によって所有・出版されており、先行していた定期刊行物同様に、「教養ある読者に科学的知識の進歩についての、アクセス可能なフォーラムを提供する」ことを試みたという[19]。Janet Browneによると、ネイチャーは「同時代の科学誌群とは比べ物にならないほどポレミック (polemic) な目的の(つまり、討論を挑んだり、議論を引き起こすことが目的の)雑誌として生まれ、育てあげられた[22]

ネイチャーの初期の版の多くは、XクラブX Club)と呼ばれるグループのメンバーによって書かれた記事で構成されていた。これは、その時代に比べてリベラルで進歩的で、やや物議を醸す科学的信念を持っていることで知られる科学者のグループであった[19]トマス・ヘンリー・ハクスリーによって始められたこのグループは、ジョセフ・ダルトン・フッカーハーバート・スペンサージョン・ティンダルなどの重要な科学者と、さらに5人の科学者と数学者で構成されていた。これらの科学者は皆、ダーウィンの進化論共通祖先の存在を強く支持していた。この理論は、19世紀の後半においては、より保守的な科学者グループの間で多くの批判を受けていた[23]。1966年から1973年までと1980年から1995年までのネイチャーの編集者であるジョン・マドックス(英語版)は、ジャーナルの100周年記念版の祝賀ディナーで、おそらく読者を惹きつけたのはネイチャーのジャーナリズムの特質であると述べた。ここで言う「ジャーナリズム」とは、「互いに孤立している人々の間に、共同体としての感覚を作り出す方法です。これは、Lockyerのジャーナルが最初から行ったことです。」と述べている[24]。さらにマドックスは、マクミラン家による最初の数年間のジャーナルの財政的支援により、ジャーナルがそれ以前の科学ジャーナルよりも自由に繁栄し発展することを可能にしたと述べている[24]
編集長

ネイチャーの創刊者であるノーマン・ロッキャーは、インペリアル・カレッジ・ロンドンの教授であった。1919年に、リチャード・グレゴリー卿へ編集長の役職は引き継がれ、国際的な科学界でネイチャーの確立に貢献した[25]。王立学会による彼の死亡記事では、「グレゴリーは常に科学の国際的な交流に非常に興味を持っていました、そしてNatureのコラムで彼は常に国際科学組合の活動の説明に多くのスペースを与えました」と述べている[26]。1945年から1973年の間に、ネイチャーの編集者は3度交替した。最初は、1945年にA・J・VゲイルとL・J・Fブリンブル(英語版)(彼は1958年に単独の編集者になった)、次に1965年にジョン・マドックス、1973年にデビッド・デイビスへと変更された[25]。1980年に、マドックスは編集者として戻り、1995年までその地位を維持した。フィリップ・キャンベルは、2018年まですべてのネイチャー出版物の編集長になった。それ以降の編集長は、マグダレーナ・スキッパーである[25]
拡張と開発

1970年、ネイチャーは最初にワシントン事務所を開設した。その他の支店は、1985年にニューヨーク、1987年に東京とミュンヘン、1989年にパリ、2001年にサンフランシスコ、2004年にボストン、2005年に香港に開設された。1971年、ジョン・マドックスの編集の下、ジャーナルはNature Physical Sciences(月曜日に発行)、Nature New Biology(水曜日に発行)、Nature(金曜日に発行)に分割された。1974年、マドックスは編集者ではなくなり、ジャーナルはネイチャーに統合された[27]。1980年代から、ジャーナルは大幅に拡張され、10を超える新しいジャーナルが発行されました。これらの新しいジャーナルはネイチャー・リサーチ(英語版)(1999年にNature Publishing Groupとして設立)を構成 し、Nature、Nature Researchジャーナル群(英語版)、Stockton Press Specialist Journals、Macmillan Reference(NPG Referenceに改名)が含まれている。1996年にネイチャーは独自のウェブサイトを作成し[28]、1999年にNature Publishing Groupは一連のNature Reviewsを創刊した[29]。現在、ネイチャーのウェブサイトでは、無料で閲覧可能な記事や論文の他、サイトへのプレミアムアクセスの購入が必要な記事や論文が混在している。2012年現在[update]、ネイチャーは月に約300万人のオンラインからのユニークアクセスがある[30]

2008年10月30日、ネイチャーは2008年アメリカ大統領選挙での選挙運動中にバラク・オバマを支持し、初めてアメリカの大統領候補を支援した[31][32]。2012年10月、アラビア語版の雑誌が、アブドゥルアズィーズ王科学技術都市(英語版)と提携して発行され、リリース時点で約1万人の加入者があった[33]。2014年12月2日、 ネイチャーは、購読者と選択したメディアアウトレットのグループがリンクを共有できるようにし、ジャーナルのコンテンツへの無料の「読み取り専用」アクセスを許可すると発表した。これらの記事は、デジタル著作権管理システムReadCube(Macmillanの子会社であるDigital Scienceが資金提供)を使用して掲載されており、読者がコンテンツをダウンロード、コピー、印刷、またはその他の方法で配布することは許可されていない。ある程度、記事への無料のオンラインアクセスが提供されているが、再利用と配布に制限があるため、完全なオープンアクセスとはなっていない[34][35]。2015年1月15日、Springer Science + BusinessMediaとの合併案の詳細が発表された[36]


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