ヌイイ=シュル=セーヌ
ヌイイ=シュル=セーヌ (Neuilly-sur-Seine)は、フランスのパリ西部近郊にある都市(コミューン)。パリ中心から6.8キロメートルの距離にある。ヌイイ=シュル=セーヌは、ヨーロッパでも特に人口密度の高い都市のひとつでもある。 パリ郊外の都市をバンリューというが、ヌイイ=シュル=セーヌはバンリューの中でも隣接するパリ16区と並ぶ高級住宅地に位置づけられる[1]。 パリ市内エトワール凱旋門を起点とするグランダルメ大通りが、ヌイイ市内を走るシャルル・ド・ゴール大通りに続き、そのまま通りを郊外へ進むとラ・デファンス地区になる。 ウビガンやシャネルの本社機能(シャネル本店はパリ1区サントノレ通り界隈のカンボン通り)、フランスを代表する屋外広告代理店ジーセードコーや、大手電機企業タレス・グループ、AI歯ブラシ企業コリブリーの本社等がある。 セーヌ川に浮かぶグランド・ジャット島(ジャット島)は、ジョルジュ・スーラ作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』で知られ、島(中洲)の大部分はヌイイに、北部(北東部)はルヴァロワ=ペレに属する。 フランス革命期以降、モンテッソン侯爵夫人、さらに商人等を介して、政治家のタレーラン、ジョアシャン・ミュラ元帥らの手に渡ってきたヌイイ城(Chateau de Neuilly ヌイイ城の広大な庭園は、ルイ・フィリップの父親ルイ・フィリップ2世("フィリップ・エガリテ")が造成したモンソー公園(現在のパリ8区に所在)をお手本に、"幻想的"に造り上げられた。しかし、オルレアン朝(1830-1848年)の崩壊時にお城から庭園までの大部分が破壊され、ナポレオン3世の第二帝政時代に、広大な城や庭園跡は区画割がされ、現在まで続くヌイイ=シュル=セーヌの街となっている。 また、ヌイイにはブローニュの森に沿って、シャンボール城やシュノンソー城に触発された、フランスの築城様式に範をとった箇所及びイタリア様式で築城された箇所とがある絢爛豪華なマドリッド城(Chateau de Madrid
概要
歴史
第一次世界大戦後の1919年11月27日、この都市で連合国側とブルガリアとの講和条約「ヌイイ条約」が結ばれた。
交通
道路
シャルル・ド・ゴール大通り(fr)
国道13号線(fr)の一部を成す
鉄道
地下鉄・メトロ (RATP) (Metro)
1号線
ポン・ド・ヌイイ駅 ? レ・サブロン駅
姉妹都市
ウックル(ベルギー)
メイデンヘッド(イギリス)
ウィンザー(イギリス)
ハーナウ(ドイツ)
Baakline(レバノン)
ギャラリー
ヌイイ=シュル=セーヌの位置
シャルル・ド・ゴール大通り (Avenue Charles-de-Gaulle) からパリのエトワール凱旋門を望む
同, ラ・デファンスのグランダルシュを望む