ニーノ・ロータ
Nino Rota
ニーノ・ロータ(左)
基本情報
生誕1911年12月3日
出身地 イタリア・ミラノ
死没 (1979-04-10) 1979年4月10日(67歳没)
ジャンルクラシック、映画音楽
職業作曲家
活動期間1935年 - 1979年
ニーノ・ロータ(Nino Rota, 1911年12月3日 - 1979年4月10日)は、イタリアの作曲家。クラシック音楽と映画音楽で活躍した。本人は「本業はあくまでクラシックの作曲であり、映画音楽は趣味にすぎない」と言っていたが[1]、映画音楽の分野で多大な業績を挙げており、死後クラシックの作品も注目を浴びるようになった。 北イタリアのミラノ出身。11歳でオラトリオ、13歳でオペラを作曲し、ミラノ音楽院、サンタ・チェチーリア音楽院[2]で学んだ。その後米国に渡り、カーティス音楽学校に学んだ。帰国後ミラノ大学に入学し、文学と哲学を並行して専攻。 大学卒業後は音楽教師となり、その傍らクラシック音楽の作曲家として活動を開始。1942年以降、映画音楽の作曲も始めた。1951年、当時新進映画監督として注目を集めたフェデリコ・フェリーニと出会い、その後自身が亡くなるまで、フェリーニの映画音楽を数多く手がけることになった[1]。 フェリーニ監督以外の映画音楽も多数手がけ、1968年にはフランコ・ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』の音楽を担当した。同作品の「ワット・イズ・ア・ユース」はグレン・ウェストンが歌っている[3]。フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』の音楽はロータの代表作となり、「愛のテーマ」は多くの人々に親しまれた。 1975年と1976年の2回来日しており、1976年の来日時には、国内11か所で自作を取り上げたコンサートを開催し、自ら指揮棒も振った[4]。 67歳のとき心臓発作によりローマで死去。生涯結婚はしなかったが、娘が1人いる[5]。 南イタリアのモノーポリに音楽院
生涯
主な作品
純音楽
交響曲第1番ト長調(1935年 - 1939年)
交響曲第2番ヘ長調
交響曲第3番ハ長調
オペラ『フィレンツェの麦わら帽子』(1946年)
木管五重奏のための『小さな音楽の贈り物』(1943年)
オーボエとピアノのための『エレジー』(1955年)