ニンテンドーDS
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この項目では、ニンテンドーDSシリーズ共通の内容、およびニンテンドーDS本体について説明しています。

上位モデル「ニンテンドーDS Lite」本体については「ニンテンドーDS Lite」をご覧ください。

最上位モデル「ニンテンドーDSi」「ニンテンドーDSi LL」本体については「ニンテンドーDSi」をご覧ください。

ニンテンドーDS

メーカー任天堂
種別携帯型ゲーム機
世代第6世代
発売日 2004年11月21日
2004年12月2日
2004年12月13日
2004年12月29日
2004年12月31日
2005年2月24日
2005年3月11日
2005年3月12日
2005年7月23日
2006年2月11日
2006年5月15日
CPUARM946E-S 67MHz
ARM7TDMI 33MHz
対応メディアニンテンドーDSカード
ゲームボーイアドバンス(GBA)用カートリッジ
対応ストレージDSカード(フラッシュメモリ
GBA用カセット(バッテリーバックアップフラッシュメモリ
外部接続IEEE 802.11、独自プロトコル
オンラインサービスニンテンドーWi-Fiコネクション
売上台数ニンテンドーDS[注 1]
654万台
529万台
1,879万台
ニンテンドーDSシリーズ
3,299万台[1]
5,993万台[1]
1億5,402万台[1]
最高売上ソフト New スーパーマリオブラザーズ /649万本[2]
New スーパーマリオブラザーズ /3,080万本[3]
後方互換一部のゲームボーイアドバンス用ゲーム
(ゲームボーイアドバンス用通信コネクタを利用するソフトを除く)
ゲームボーイアドバンスSP
(ACアダプター使用時)
前世代ハードウェアゲームボーイアドバンス
次世代ハードウェアニンテンドー3DSシリーズ
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ニンテンドーDS(ニンテンドーディーエス、Nintendo DS、略称:DS)は、任天堂が日本において2004年(平成16年)12月2日に発売した携帯型ゲーム機。「ニンテンドーDSシリーズ」の第一弾となった。
概要

携帯型ゲーム機として任天堂はゲームボーイアドバンス(以下GBA)を展開中だったが、本機はGBAの「後継機」ではなく、ニンテンドーゲームキューブ、GBAに次ぐ「第3の柱」をうたい[4]、一から開発された新しいゲーム機である[5][6][注 2]。しかし本機が瞬く間に普及し、後に発売されたGBAの新型モデルであるゲームボーイミクロの売り上げも伸びなかったため、任天堂を含む多くのメーカーはDSに注力、事実上GBAの後継として展開された。

本機は液晶ディスプレイが2画面となり、下部のディスプレイのみタッチパネルに対応している。GBAと比べてボタン数が増加しスーパーファミコンに準じた数となる。

新たにソフトウェア媒体として採用されたDSカードはメモリーカードタイプの形状となり、従来のROMカセットのパラレル接続からシリアル接続に変更。従来のROMカセットよりも大量生産とコストダウンに優れており、大容量化にも対応できる。後に発売されたNintendo Switchに至るまで、このタイプのソフトウェア媒体が採用されている。

2006年3月2日には小型化された上位モデルのニンテンドーDS Liteが発売され、2008年11月1日にはゲームボーイアドバンスとの互換性を廃止した代わりに薄型化し、内蔵フラッシュメモリ、SDメモリーカードスロットを搭載したニンテンドーDSiが発売された。2009年11月21日にはニンテンドーDSiを大きくしたニンテンドーDSi LLが発売された。

後に続くニンテンドーDSシリーズの第1弾として発売された。シリーズは2016年までの12年間に渡って同社から発売され[1]、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日米両国において最も売れたゲーム機となっている[いつ?][1][8]

発売された一部のゲームはWii Uの配信サービスであるバーチャルコンソールで配信されていた(2023年終了)。
沿革

2003年8月 - 任天堂は今までとは異なる質の商品を開発していることを発表。

2004年

9月21日 - 任天堂、発売日と価格を発表[9]。北米では2004年11月21日に149.99ドル、日本では2004年12月2日に1万5,000円、オーストラリアでは2005年2月24日に199.95豪ドル。

11月21日 - 米国で発売。

12月2日 - 日本で発売。

12月13日 - 台湾で発売。

12月29日 - 韓国(韓国任天堂での発売)で発売。

12月31日 - ブラジルで発売。

12月末 - 米国では発売後1か月で100万台を出荷、日米の累計は280万台となった。


2005年

2月24日 - 豪州(ニンテンドーオーストラリアでの発売)で発売。

3月11日 - 欧州で発売。

3月12日 - スペインで発売。

4月中期 - 出荷台数200万台を突破。

7月23日 - 中国(神游科技での発売)で発売。

12月26日 - 任天堂は「ニンテンドーDS Touch!Generations新作ソフト記者発表会」を行い、その中で日本でのDS販売台数が500万台を突破したと発表。これは14か月強のゲームボーイアドバンス(GBA)、17か月のPlayStation 2(PS2)を抜いて史上最速。

12月末時点で日本での出荷台数は544万台、全世界での販売台数は2005年(平成17年)末時点で1,300万台に到達。特に2005年末から2006年(平成18年)始めにかけて日本ではクリスマス・お年玉商戦の好調を反映して品切れする店舗が続出し、12月の第4週と1月の第1週の間に100万台の売り上げを記録。これらは世界的に見ても驚異的なハイペースで、ゲーム機史上空前の大ヒットとなっている。2005年度(平成17年度)の日本での実販売数は432万台(エンターブレイン調べ)となっている。


2006年

1月5日 - 予想を超える需要により供給が追い付かず、お詫びする事態に[10]

2月 - カンファレンスで、日本での販売台数が600万台を突破し、ミリオンセラータイトルが7本になったと発表。

3月2日 - ニンテンドーDS Lite発売。従来型のDSも並行して販売されたが、慢性的な日本での品不足および、北米・欧州などでもDS Liteの発売が始まったこともあり、生産ラインのほとんどはDS Liteにシフトされ、従来のDSの出荷台数は大幅に減少した。そして2006年(平成18年)夏ごろから従来型のDSの生産を終了。

6月 - 日本で900万台を突破。

7月末、発売後20か月で日本実売数1,000万台を突破。これは任天堂の予想を上回る勢いの販売数で、GBAの30か月、PS2の32か月を大幅に上回り、同国のゲーム機史上最短記録。

8月末 - DS Liteの実売数が、2004年(平成16年)12月12日に発売されたPSPの実売数を、発売後26週で上回った。

PlayStation 3の発売週には、PS3が8万1,639台に対してDSが14万8,174台販売された(メディアクリエイト)とされ、次世代据え置きハードにも週間販売数で勝り、一部で話題に。これはPS3の生産数自体が少なかったことも一因。


2007年

3月2日 - エンターブレイン、DSの日本での販売台数が1,500万台を突破したことを発表。発売から115週での達成はPS2の発売220週目の約2倍のペース。

129週で日本での販売台数が1,700万台を突破[11]

前年の年末商戦から生産体制を月産160万台から過去に例のない月産250万台に引き上げを維持して、それでもこの時点の需要に追いつかなかった、当時社長の岩田聡も「いささか異常」と評価[12]


2008年

1月7日 - エンターブレイン、2007年11月下旬から12月までの約1か月間のDS Liteの販売台数は100万台を突破、旧型DSを合わせた日本での累計販売台数2,110万台を発表。これは同時点でのPS2の累計販売台数2,106万台を上回った。

3月 - 任天堂の決算短信、世界累計で7,060万台販売を発表。

市場に行き渡ってきたためか、本体の販売台数がやや鈍化し、週間販売台数が『モンスターハンター』シリーズなどで販売台数が増加したPSPを下回っていたが、夏ごろからはDSが再逆転し、年間販売台数403万台で首位の座を維持した[13]

11月1日に発売されたニンテンドーDSiの初回出荷分20万台は多くの店では1、2日、最長でもわずか4日で完売し、8週目にして販売数100万台を突破。ただし、『ニンテンドーDS Lite』は併売となった。翌年4月に北米・欧州などでもDSiの発売が始まった。

このころより日本では、前述した『モンスターハンター』シリーズの件もあって、Wiiとその他の据え置き型ハードの構図と同様に、新規参入ユーザーや大学生や社会人、20歳代以上の従来層ユーザー・ヘビーユーザーなどはニンテンドーDS、おもに10歳代はPSPの傾向という構図が携帯ゲーム市場でもでき上がってくる[注 3]

12月 - 米国では304万台を売り上げ、ゲーム史上最高の月間販売台数を記録。また、2008年年間販売台数は995万台を記録し、2007年に自身が記録した852万台を超えた。しかしWiiが1,022万台を売上げたため、年間販売台数2位となった[15]

欧州では米国をさらに上回る売り上げに。年間販売台数830万台を記録し、欧州市場での据置型ゲーム機の年間販売台数史上最多となったWiiをさらに上回る1,120万台を記録し、欧州のゲーム機年間販売台数の最高記録を更新[16]


2009年

1月 - 発売から4年で日本での販売数が2,500万台を突破したことを発表[17]。1月29日には、3月末には世界累計1億台を突破する見通しであることを発表[18]

3月6日 - 上記の予想よりも早く、また家庭用ビデオゲーム機としては4年3か月と2週間という最速ペースで、世界累計1億台を突破したことを発表した[19][20]。その後も売り上げを伸ばし、2009年末には累計1億2,513万台を記録、ニンテンドーDSは世界市場でも史上もっとも多く売れたハードに。

上半期のゲーム市場は世界的に見ても携帯・据置を通してヒット作に恵まれずニンテンドーDSも鈍化を余儀なくされたが、それでもハード売り上げで首位を維持し、ゲームも上半期の国内売上1位が『マリオ&ルイージRPG3!!!』になるなど、市場でなお存在感を見せる。

11月21日 - ニンテンドーDSiの新バリエーションであるニンテンドーDSi LLが発売。

日本での年間販売台数は、DSの全バリエーション合計でおよそ402万台(エンターブレイン調べ)となり、5年連続してハード販売台数首位となった。

北米ではさらに売り上げの増加が進み、最終的な年間販売台数はおよそ1,122万台となり、前年のWiiをも上回る北米ゲーム市場で史上最高の年間販売台数を記録した[21]。欧州では2007年、2008年よりも減少したが、それでも優勢を維持した。一方でソフトは同年の日本市場と異なり、一定の売り上げはあったものの記録的な大ヒットは登場せず、ソフト売り上げの大幅な増加はなかった。


2010年

3月23日 - 日本国内の累計売り上げ台数が3,000万台を突破(エンターブレイン調べ)[22]。日本でのゲームハードの3,000万台越えはゲームボーイシリーズ以来となる。

3月末 - 全世界累計販売台数が1億2,889万台となり、ゲームボーイを抜いて携帯型ゲーム機売り上げ世界歴代1位になったことを発表[23]

6月19日 - DSi LLの新カラーが発売されるとともに、DSiとDSi LLの価格がそれぞれ1万5,000円と1万8,000円に値下げされる[24]。それまではLite、DSi、DSi LLと上位機種発売によって事実上の値上げが続いていたニンテンドーDSシリーズで値下げとなる。

前年のような記録的ヒットが少なかったことや次世代型携帯ゲーム機のニンテンドー3DSがすでに発表されていたことでそれまでの年からハード販売台数がかなり減少したが、最終的な年間売り上げ台数はエンターブレイン発表で296万3,709台となり、売り上げ2位のPSP(289万476台)をわずかに上回り、同社調査では6年間続いて国内の年間ハード売り上げ首位に[25]。ただし備考として、同じく集計機関でもメディアクリエイトでの調査ではPSPが若干上回っていると発表されている[要出典]。


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