ニンテンドードリーム
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『ニンテンドードリーム』(Nintendo DREAM)は、アンビットが発行し、徳間書店が発売している任天堂ゲーム機専門雑誌。通称は「ニンドリ」[1][2]。毎月21日発売。公称発行部数は15万部。
概要

1996年にNINTENDO64発売に合わせ創刊。当時の誌名は『The 64DREAM』(ザ・ロクヨンドリーム)。競合誌である『ファミ通DS+Wii』や『電撃Nintendo』(いずれもKADOKAWA刊行)などと違い、派生元や前身となる雑誌を持たずに創刊された。編集部員も初代編集長の左尾昭典をはじめ、それまでゲーム雑誌に携わったことのない者が多かった。

イラストコンテストなど、読者投稿を基盤とした企画に力を入れているのも特徴で、ゲームクリエイターの桜井政博は『ニンドリ』を「他にはないほどファンに特化している雑誌」と評している[3]
誌名の由来

当初は「64WORLD」という誌名にする予定で任天堂に提出するための企画書を作っていたが、提出する前日の朝に「64DREAM」という誌名が頭に浮かび、その場で企画書の表紙だけを打ち直したと、初代編集長の左尾昭典が述べている[4]。そのため、誌名の由来に関して深い意味はないようだが、現在は「読者に夢(DREAM)を届ける雑誌」という意味で落ちついたようで、宮本茂もこの意味で祝辞を送った事がある。
沿革
The 64DREAM

1996年7月5日に毎日コミュニケーションズ(現・マイナビ)から『The 64DREAM』創刊準備号が刊行、2号目の1996年11月号(9月21日発売)から毎月21日発売の任天堂ゲーム機専門雑誌として本格的にスタートする。毎号シールが特別付録としてついており、読者には非常に好評で(追従してシールを付録とする他の64専門誌も出るほどだった)、ファミリー読者を中心に「ロクドリ」の愛称で支持される。任天堂系雑誌でありながら当時の任天堂の方針を批判したり議論したりする「64フォーラム」など濃いコーナーもあり、また他雑誌では扱いの小さかった『ゲッターラブ!!』の大々的な特集を組むなどしている。

誤植がよく見受けられるのもこの頃からの特徴で、特に有名なものでは任天堂を「天任堂」と間違えたり、プレゼントキャンペーン用電話番号を殆ど違う場所に繋がるものを載せる、といったものがある。こういった誤植は読者からも多々ネタにされ、ついには「ゴショッカー」なるキャラが誕生したこともある。

2000年3月21日より『Nintendoスタジアム』がこれまでの徳間書店から毎日コミュニケーションズ発行に変更され本誌の兄弟誌となる。その際、『Nintendoスタジアム』の編集部は独立して編集プロダクション「アンビット」を設立。これ以降、双方の編集部が共同で攻略本を制作するということも行われるようになる。
Nintendo DREAMに誌名変更

ハードの世代交代に伴い2001年5月号(3月21日発売 Vol.56)より誌名変更、『Nintendo DREAM』となる。基本的な構成内容は『ロクドリ』を踏襲。
Nintendoスタジアムとの統合による月2回刊化

2002年8/21号(7月19日発売 Vol.72)より同じく月刊誌であった『Nintendoスタジアム』と統合され、毎月6日と21日に発売の月2回刊となる。月2回刊での発売は当時の任天堂ハード専門誌としては唯一のものだった。統合以降、編集部は『Nintendoスタジアム』を編集していたアンビットの社内に設置されたが、これまでの編集部員も一部を除いて合流し編集を継続している。2003年7/21号(6月21日発売 Vol.93)よりリニューアル。それまで読者交流ページなど一部紙面がモノクロだったが全誌面カラー化し、『ロクドリ』以降名物であった「ハミダシ」情報(ページの左右枠)がほぼ全ページに付加される。また、毎号付録が付くようになる。

なお統合された『Nintendoスタジアム』(2002年6月21日発売の8月号にて事実上休刊)は、かつて徳間書店から発売されていた任天堂ゲーム機専門誌『ファミマガ64』(1996年に『ファミリーコンピュータMagazine』から誌名変更)が1998年3月に休刊した後、編集者の一部を引き継いで同年7月に新創刊された任天堂ゲーム機専門誌である。
再び月刊化

2005年7月号(5月21日発売 Vol.135)からは刊行ペースが月刊に戻り、誌面をリニューアル。「月刊マリオの王国」などの新コーナー(後述)が誕生した。『ロクドリ』時代の編集者減少のためか、「ハミダシ」情報が前回のリニューアル以前と比べても減少した。
ニンテンドーDSとWiiの普及に伴うリニューアル

さらに、2007年1月号(2006年11月21日発売 Vol.153)で誌面をリニューアルした。パッと見た目は大きく変わっていないが、これまでより高年齢層が読めるようなリニューアルがところどころ行なわれている。

2007年2月号(2006年12月21日発売 Vol.154)から、表紙の構成と文字フォントが『電撃NINTENDO64』(現・『電撃Nintendo』)に似た「大人向け」を意識したものになった。

インタビュー記事が大幅に増えた。

初出しの独占情報が増えた。

ルミナスアーク』、『リーズのアトリエ』など、他の任天堂系列雑誌ではあまり見られないコアユーザー向けの記事が大幅に増えている。

2008年2月号(2007年12月21日発売 Vol.166)より、表紙表題「Nintendo DREAM ニンドリ」に加え、「DS&Wii専門誌」と追記されるようになった。

発行・発売元変更

本誌は創刊より毎日コミュニケーションズから発行・発売されていたが、2011年1月号(2010年11月20日発売 Vol.201)より、アンビット発行、徳間書店発売となる。

なお、徳間書店がゲーム雑誌を発売するのは『Nintendoスタジアム』2000年3・4月合併号(1月21日発売)以来のことである。同誌は前述の通り2000年5月号(3月21日発売)より毎日コミュニケーションズ発行となった後、2002年7月に本誌と統合されている。紆余曲折を経て、かつて徳間書店から発売されていた『ファミリーコンピュータMagazine』の流れを汲む任天堂ゲーム機専門雑誌が、再び同社のもとへ戻った形となった。
主な連載企画

「ニンドリ学園」などの読者ページの投稿は、本誌に同封してあるアンケートハガキ裏の下の枠に書く事も出来る。以下連載終了のものも含む。
学校法人 ニンドリ学園
読者から寄せられたハガキを紹介していく。真面目なものや面白回答まで幅広い。雑誌編集者などに言いたい事も紹介される。スペースは小さいが、コーナーもある。かつて、月2回刊時にオールカラーになったときは、タイトル後に「COLORS」が付加されていた。また、再び月刊誌となってからしばらくは、「COLORS」の代わりにタイトル前後に毎月ランダムで変な表記が付加されていた(スピリッツ、タロウなど)。

フリートーク

今号の目標

ダジャレドリーム

一発!芸達者

今週の日直さん

異論・反論、どっちでSHOW!?

正夢、アホ夢、私のドリーム

オラが村のお宝自慢

学園父母の会→学園ファミリー会

真実戦隊ウソナンジャー

あぁ無情!「そんなバカな」の失敗談!

こんな○○はイヤだ!

クイズNニンドレア

ちょっと気になる、こんなコト

一言インプレッション

底ぬけニガオエ教室

まんが4コマ夢ばなし

デス仙人の教えてあ・げ・る?(現・デス仙人の教えてあげるR)
デス仙人と呼ばれる人物が、読者の質問(主にゲーム関係)に答えるコーナー
[6]。デス仙人は「ドクターペッパー」など変態飲料に関しても詳しい。『The 64DREAM』時代は「ゴリラでもわかる64教室」というタイトルだった。2006年12月号で突然の連載終了。そして翌月、デス仙人の教えてあげるR(リターンズ)として復活。しかも2ページにボリュームアップした。かつてコーナータイトルのイラストにいたメガネの女子は、手下のデス仙人レディ。彼女も本誌に連載を持っていた時期があったが、月刊化時にコーナー打ち切り。その後、姉妹誌の『ゲームキャラグラフ』でコーナーを再開するも、こちらも打ち切りとなった(設定上だけでなく、実際にデス仙人が経営する編集プロダクションの女子社員らしい)。リターンズになった際にレディの連載も不定期ながらも復活。果ては新キャラのJr.(仮名)も不定期連載を始める。しかし、2008年2月号でレディがお嫁に行くことになり業界を引退することになったのでレディのお部屋は終了した。2009年7月号でレディ2号目がお披露目された。
ゲームソフトファンクラブ
読者から寄せられた、イラストが入ったゲームの感想や意見をそれぞれ?部といった風に分けて紹介。主に任天堂のゲームはシリーズごと、サードパーティのゲームは会社ごと分ける。自分の好きなキャラクターを紹介する「愛をさけ部」もある。
任天堂公式Q&A 任天堂の質問箱
読者の疑問を、任天堂企画部GMの萩島光明が答える。前身である『The 64DREAM』創刊準備号から続いていた名物コーナー。コーナー開始時は任天堂広報の本郷好尾が回答を担当していたが、本郷が部署移動後は担当が変更。その後担当となった萩島は「Hさん」という名前で顔も出さなかったが、通巻100号を機に読者の要望に応えて顔と名前を明らかにした。2007年2月号で連載終了。


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