ニュー東映
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この項目では、1958年7月 - 1959年2月の時期に株式会社東映テレビ・プロダクションと称した企業について説明しています。1959年11月2日に設立され現存する同名の企業については「東映テレビ・プロダクション」をご覧ください。

第二東映株式会社
Daini Toei Co., Ltd.種類株式会社
市場情報合併消滅
本社所在地 日本
104
東京都中央区銀座西3丁目1番地
設立1958年7月
業種サービス業
事業内容映画の受注製作
映画の輸出・輸入
前各号に附帯する一切の業務
代表者代表取締役社長 大川博
資本金50万円
主要株主東映
主要部門東京製作所
京都製作所
関係する人物岡田茂
高橋昌一
特記事項:
1961年2月 ニュー東映と改称
同年12月 東映に吸収
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第二東映株式会社(だいにとうえい)は、かつて存在した日本映画製作配給会社である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11]。1958年(昭和33年)7月に株式会社東映テレビ・プロダクション(とうえいテレビ・プロダクション)の社名で設立されたが、1959年(昭和34年)2月に東映テレビ映画株式会社(とうえいテレビえいが)、同年5月8日に第二東映株式会社と商号変更した[1][2][3][4][5]。1961年(昭和36年)2月にはニュー東映株式会社と改称したが[6][12]、その後10か月で製作を中止した[12][13][14][15]

同社は東映の子会社ではあるが、現存する株式会社東映テレビ・プロダクションとはまったく別の会社である[1][3]
沿革

1958年

5月 - 東映が本社に「テレビ課」を設置
[4][5]

7月 - 株式会社東映テレビ・プロダクション(旧)を設立[2][4][5](当社の設立)


1959年

2月 - 株式会社東映テレビ・プロダクション(旧)を東映テレビ映画株式会社と商号変更[1][3]

5月8日 - 東映テレビ映画を第二東映株式会社と商号変更[1][2][3][7]

11月2日 - 同社と別に新たに株式会社東映テレビ・プロダクション(新)を設立[1][3]


1961年

2月3日 - ニュー東映株式会社と改称[6][12][13]

12月 - 製作・配給の中止[14][15]、東映に吸収合併[7](消滅)


概要
テレビ映画の製作から

劇場用のプログラムピクチャーを量産したことで知られる第二東映は、そもそも、テレビ映画の製作会社として設立されたものであった[2][4][5]。1953年(昭和28年)8月28日の日本テレビ放送網[16]、1955年(昭和30年)4月1日、ラジオ東京テレビ(現在のTBSテレビ[17]といった在京民放テレビ局の開局を受け、東映は、1957年(昭和32年)11月、日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日ホールディングス)の設立に参加し[18]、さらに翌1958年(昭和33年)5月には本社に「開発部テレビ課」を設置、テレビ映画の製作会社として同年7月に設立したのが、同社の前身、株式会社東映テレビ・プロダクション(旧社)であった[2][4][5]。この設立日を、第二東映の設立日としている[2]

NETテレビは、1959年(昭和34年)2月に本放送を開始[18]、同月、東映は、株式会社東映テレビ・プロダクション(旧社)を東映テレビ映画株式会社と商号変更、テレビ映画を製作するとともに、放映後のテレビ映画を各劇場に配給する会社とした[3]。同社が京都製作所で製作した連続テレビ映画が『風小僧』(主演目黒ユウキ、全48回)であり、同作は同年同月3日にNETテレビ、同年3月3日に大阪の毎日放送テレビ(現在のMBSテレビ)で放映を開始した[3][5][19][20]。同作は、東映初のテレビ映画であるとされる[3][5][20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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