ニュー・イヤーズ・デイ_(U2の曲)
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「ニュー・イヤーズ・デイ」
U2シングル
初出アルバム『WAR(闘)
B面Treasure (Whatever Happened to Pete the Chop)
リリース1983年1月1日
規格7インチ・シングル
12インチ・シングル
ジャンルロック
レーベルアイランド
作詞・作曲U2
プロデューススティーヴ・リリーホワイト
チャート最高順位
アイルランド2位
UK10位
US53位
カナダ41位
オーストラリア36位
ニュージーランド32位
フランス17位
オランダ11位
ノルウェー9位
スウェーデン17位
U2 シングル 年表

セレブレイション
(1982年)ニュー・イヤーズ・デイ
(1983年)トゥー・ハーツ・ビート・アズ・ワン
(1983年)

ミュージックビデオ
「New Year's Day」 - YouTube


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「ニュー・イヤーズ・デイ」(New Year's Day)は、U2の3枚目のアルバム『WAR(闘)』からのリードシングルで、U2のシングルとして初めてUKチャートのトップ10に入った曲である。スマッシング・パンプキンズビリー・コーガンは16歳の時に、ラジオから流れてきたこの曲を聴いて、U2のファンになったと話している[1]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}大晦日の夜にこの曲をかけて新年を迎えるU2ファンも多い[独自研究?]。
解説

Octoberツアー中のサウンドチェックの際にアダムがVisageの「Fade To Gray」のベースラインを弾き間違えたことから生まれた曲。元々はボノからアリへ向けたラブソングだったのだが、その後方針転換し、後にポーランドの大統領となるレフ・ヴァウェンサ率いる独立自主管理労働組合「連帯」をテーマとする曲となった。ボノはなかなか歌詞を完成させることができず、危うくアルバムから漏れるところだった(ちなみに歌詞にある「Under a blood red sky」の一節は、その後、ライブアルバムのタイトルになった)。レコーディング中、リリーホワイトは「Sunday Bloody Sunday」には特別なものを感じていたものの、「NYD」にはピンと来なかったが、スタジオに出入りしていたインターンの少年が、この曲が流れる度に興奮しているのを見て、「もしや」と思ったのだという[2]

そして「War」のレコーディングが終わった後の1983年1月1日、実際にポーランドで戒厳令が解かれ、この偶然にU2のメンバーは大変驚いた。戦場の場面を描写するなんて愚かしいことかもしれない。でも「NYD」がトップ10入りしたという事実は、レコードを買う人たちがチャートに登場するようなポップなものに幻滅していることだと思うんだ。「NYD」がポップシングルだとは思ってないよ。ミッキー・モストがいうところの3分間で終わって3週間チャートに入っているようなポップシングルとは明らかに違う。俺たちにそういう歌が作れるとは思えないね。[3] ? ボノ
B面
Treasure (Whatever Happened to Pete the Chop)

「Pete The Chop」とはごく初期にバンドのマネジメントに関わっていたアンドリュー・ホワイトウェーのニックネームで、彼から「僕のために曲を書いてくれ」と頼まれて書いたのが同タイトルの曲。当時のU2にしてはポップな曲で、ポール・マクギネスもアイランド・レコードの社員もヒット間違いなしと考えシングルリリースを勧めたが、バンドは気に入らずそのままお蔵入りとなった。その後「Treasure」とタイトルを変えて、「New Year's Day」のB面に収録されることになったのだが、その際、なかなかシングルヒットが出ないU2に業を煮やしたアイランド・レコードの社員が、口癖のように「『Pete The Chop』はどうなっている?《Whatever Happened to Pete the Chop?》」と言っていたため、それを副題に使った[4]。「Pete the Chop」は初期のライブで演奏されたことがあるが、この曲は一度もない。

「War」のデラックス・エディション収録。
PV

監督はメイアート・エイヴィス、ロケ地はスウェーデンのスキーリゾート地・サーレンで、1982年12月15日と16日の2日間に渡って撮影された。寒風吹きすさぶ雪原に立ち尽くして歌い、馬に乗って森の中を行くバンドの姿が印象的なこのPVはMTVでヘビロテされ、現在でも人気の高いU2のPVの一つである。だが、4人が馬に乗るシーンはメンバーが上手く馬を乗りこなせず、また保険にも入っていなかったため、実際に乗っているのは地元の十代の女の子たちである。また雪原で歌うPVというアイデア自体もエコー&ザ・バニーメンの「The Cutter」のPVの盗用と噂され、U2を毛嫌いしていたイアン・マッカロクは激高していた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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