ニューヨーク_(装甲巡洋艦)
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艦歴
発注クランプ造船所
起工1890年9月19日
進水1891年12月2日
就役1893年8月1日
退役1933年4月29日
その後1941年に海没処分
除籍1938年10月28日
前級メイン
次級ブルックリン (装甲巡洋艦)
性能諸元
排水量8,150トン
全長384 ft (117 m)
全幅64.9 ft (19.8 m)
吃水23.3 ft (7.1 m)
機関円缶8基
+3段膨張式レシプロ機関2基2軸推進
最大速21ノット (39 km/h)
乗員566名
兵装20.3cm(35口径)連装砲2基+同単装砲2基6門、
10.2cm(40口径)単装砲12基12門、
57m単装砲8門、
37mm単装砲4門、
45cm水中魚雷発射管単装3門
装甲舷側:102mm
甲板:76mm(水平面)、152mm(傾斜部)
主砲防盾:140mm(前盾)
司令塔:191mm

ニューヨーク (USS New York, ACR-2) は、アメリカ海軍装甲巡洋艦。艦名はニューヨーク州に因む。その名を持つ艦としては4隻目。
艦歴

ニューヨークは1888年に建造が認可される。1890年9月19日にフィラデルフィアウィリアム・クランプ・アンド・サンズで起工する。1891年12月2日にヘレン・ペイジによって命名、進水し、1893年8月1日に艦長ジョン・フィリップ大佐の指揮下就役した。

南大西洋戦隊に配属されたニューヨークは12月27日にリオデジャネイロに向けてニューヨーク湾を出航し、1894年1月にタイプ・ビーチに到着する。3月23日まで同地に留まり、ニカラグア西インド諸島を経由して帰国する。8月に北大西洋戦隊に配属され、冬期訓練のため西インド諸島へ帰還、トリニダードポートオブスペインで発生した火災に対して救援を行う。

ニューヨークへ帰還すると1895年にヨーロッパ戦隊に加わり、キールに向けて出航、キール運河の開通式にアメリカ合衆国代表として参加した。ニューヨークは北大西洋戦隊に再び合流し、1897年までチャールストンのフォート・モンロー沖およびニューヨーク沖で作戦活動に従事した。

ニューヨークは1898年1月17日にキーウェストに向けてフォート・モンローを出航し、米西戦争が4月に勃発するとキューバに向かい、マタンザスへの砲撃を行う。5月にサンフアンで他の艦と合流し、スペイン艦隊の索敵を行う。アメリカ艦隊はスペイン艦を発見することはできず、5月12日にサンフアンのエル・モロッコ・キャッスルを砲撃する。その後ニューヨークはサンプソン提督戦隊の旗艦となり、7月3日のサンチャゴ・デ・キューバ海戦に参加する。戦闘はアメリカ艦隊の完全な勝利に終わった。

ニューヨークは8月14日に帰国の途に就き、戦勝記念式典に参加する。翌年は各地の海軍民兵を乗せキューバ、バミューダホンジュラスベネズエラへの巡航を行い、夏にはニューイングランド沖での戦術作戦に参加した。1899年10月17日にニューヨークは中南米の紛争地域に向けて出航した。

ニューヨークは1901年にアジア艦隊に配属され、ジブラルタルポートサイドシンガポールを経由してカヴィテに向かい、同地で艦隊の旗艦任務に就く。7月に横浜に向けて出航し、久里浜ペリー上陸記念碑の除幕式に参加する。10月にニューヨークはサマール島および他のフィリピン諸島に訪問し、反政府活動に対する戦闘に参加する。1902年3月13日、香港および他の中国の港へ向かう。9月にはロシアウラジオストックを訪れ、続いて韓国を訪れ、11月にサンフランシスコに帰還した。


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