ニューヨーク市立大学シティカレッジ
The City College of the City University of New YorkモットーRespice, Adspice, Prospice
(Look behind, look here, look ahead)
種別公立大学
設立年1847年
資金1.31億ドル[1]
学長
ニューヨーク市立大学シティカレッジ(ニューヨークしりつだいがくシティカレッジ、The City College of the City University of New York)は、ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区ハーレムにキャンパスを置く、アメリカ合衆国の公立大学。略称は、City College of New York、The City College、City、CCNY。
ニューヨーク市立大学(City University of New York)を構成する総合大学の一つで11校ある四年制大学のうちの1つ。米国最古の公立大学の一つで、1847年設立のフリーアカデミー(Free Academy of the City of New York)から始まった。
歴史セントニコラス通りから見るShepard Hallの古い写真
1847年、前身となるニューヨーク市の高等教育機関「フリーアカデミー」として創立。創設者は、ニューヨーク市教育局長として公共政策に尽力し、後年に初代駐日公使として来日、1858年に日米修好通商条約を締結したタウンゼント・ハリス。ニューヨーク市立大学システムの起源となった大学で、1866年に現在のシティカレッジという名前になった。170年を超える伝統と歴史を持つ名門校で、2014年の時点でシティカレッジの卒業生の中から10人のノーベル賞受賞者を輩出する。ニューヨーク市立大学全体では13人の受賞者となる。
アイビー・リーグとして代表されるアメリカのトップ私立学校がプロテスタント支配階級に制限され排他的な体制を持っていた19世紀から20世紀前半にかけて、当時授業料無償であったこの大学に、ヨーロッパでの迫害を逃れ移民して来た聡明なユダヤ人子弟が大挙して集った。その輝かしい学術業績が彼ら労働者階級出身の学生によって成し遂げられたものであったため、ニューヨーク・タイムズにより「プロレタリアのハーバード」(“Harvard of the Proletariat”)と称された。また、この時期にカナダへまたがるユダヤ人組織シグマ・アルファ・ミューが設立された。
1930年代から1950年代にかけては、政治的急進主義として知られ、トロツキズムとスターリニズムの社会議論の場として活況を呈した。同時期の卒業生は後に「ニューヨーク知識人」集団となり、「ネオコン」と呼ばれるアメリカの新保守主義(Neoconservatism)に影響を与える事になる。
現在はユダヤ人の他、アフリカ系アメリカ人やラテン系アメリカ人、東欧諸国からの移民、アフリカ、アジアからの留学生など様々な学生が学び、「社会に開かれた大学」というハリスの建学の理念が受け継がれている。