ニューヨーク州の歴史
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この項目では、ニューヨーク州の歴史について説明しています。ニューヨーク市の歴史については「ニューヨーク市の歴史」をご覧ください。

ニューヨーク州の歴史(ニューヨークしゅうのれきし、英:History of New York)では、主に現在のアメリカ合衆国ニューヨーク州に、ヨーロッパ人が植民地を建設し始めてからの歴史を概説する。ニューヨーク州、通称エンパイア・ステートは、17世紀に交易のための植民地としてオランダ共和国が最初にニューネーデルラントを設立して以来、アメリカの政治、金融、産業、交通および文化の中心であり続けた。この植民地がイングランド王国に奪われ、アメリカ独立戦争イギリスから独立を勝ち取って最終的に現在のアメリカ合衆国の一部となった。
初期の歴史ハドソン川渓谷の初期オランダ地図。1634年頃(北が右になっている)

ニューヨーク西部は、ヨーロッパ人が到来する少なくとも500年前からイロコイ連邦の6種族が住んでいた。イロコイ族はセネカ湖とカユガ湖の間の地域を草原として維持し、草食のアメリカバイソンの群れなど野生の狩猟対象動物が豊富だった。植民地時代、イロコイ族はトウモロコシ、野菜および果樹を栽培し、牛や豚を飼育して繁栄していた。魚も豊富だった。

現在のニューヨーク市周辺の南部は長い間レナペ族が住んでいた。1524年、初めてニューヨーク港に入ったヨーロッパ人探検家ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノはカヌーに乗ったレナペ族と出逢った。ヴェラッツァーノはこの地域をフランスフランソワ1世に敬意を表して「ヌーベル・アングレーム」[1]と名付けた。フランス人探検家で地図制作者、サミュエル・ド・シャンプラン1608年にニューヨークを探検した記録を残した。
ニューネーデルラント植民地詳細は「ニューネーデルラント」を参照
ニューヨーク植民地

1663年ヨーク公ジェームズが1635年にスターリング伯に与えられていたニューイングランドロングアイランドや他の島々の特許を購入した。翌年ヨーク公は武装遠征隊を派遣してニューアムステルダムを占領し、それ以降この地域はヨーク公の名に因んでニューヨーク植民地と呼ばれた[2][3]。この征服は1667年7月のブレダ条約で確認された。1673年7月、オランダ艦隊がニューヨークを再奪取したが、1674年2月のウェストミンスター条約でイギリスに戻された。

ニューヨーク植民地は1664年の植民地憲章で設立された。ニューヨーク植民地憲章は西方への拡張について制限を設けないとしていたが、その地域には先住民族が住んでいた。マサチューセッツ湾植民地の憲章にも同じ条項があり、植民地とイロコイ族の間に領土紛争が引き起こされた。ニューネーデルラントの南西部には別にニュージャージー植民地が創設され、またさらに南西部にはペンシルベニア植民地が設けられた。

モホーク川上流からエリー湖にかけて広大な土地があり、そこにはイロコイ族が数少なく住んでおり、植民地人にとっては実質的に未知の土地だった。マサチューセッツとニューヨークの植民地憲章はどちらも、西方への無限の拡張を認めていたので、この土地への領有権主張が論争となった。ハドソン渓谷やモホーク渓谷にいた元々のオランダ人開拓者とニューヨーク東部で急速に増えつつあったイギリス人との間に多くの緊張関係もあり、ドイツ人達もモホーク地区で開拓地を設立しつつあった。
アメリカ独立戦争詳細は「ニューヨーク・ニュージャージー方面作戦」を参照


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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