ニューヨーク・セントラル鉄道
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ニューヨーク・セントラル鉄道
New York Central Railroad

1918年時点のニューヨーク・セントラル鉄道網
報告記号NYC
路線範囲アメリカ合衆国北東部から中西部
運行1853年–1968年
後継ペン・セントラル鉄道
軌間1,435 mm標準軌
本社ニューヨーク州ニューヨーク
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グランド・セントラル駅 1936年本線はハドソン川エリー運河エリー湖の岸に沿っており、「ウォーターレベルルート」と呼ばれた

ニューヨーク・セントラル鉄道(ニューヨーク・セントラルてつどう、英語: New York Central Railroad、報告記号はNYC)は、広告宣伝においては単にニューヨーク・セントラルの名でも知られた、アメリカ合衆国北東部で営業していた鉄道会社である。ニューヨークに本社を置き、アメリカ合衆国の北東部のほとんどに鉄道網を広げ、ニューヨーク州ペンシルベニア州オハイオ州ミシガン州インディアナ州イリノイ州マサチューセッツ州に路線を持ち、さらにカナダオンタリオ州ケベック州にも路線があった。

ニューヨーク・セントラル鉄道は主に、東部のニューヨークやボストンと中西部のシカゴセントルイス、およびその中間にあるオールバニバッファロークリーブランドシンシナティデトロイトといった都市を結んでいた。ニューヨーク・セントラル鉄道が建設した、ニューヨークのグランド・セントラル駅は、現存するもっともよく知られたランドマークである。

1968年にニューヨーク・セントラル鉄道はかつてのライバルであるペンシルバニア鉄道と合併し、ペン・セントラル鉄道となった。その後1969年にニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道もこれに加わっている。しかし1970年にペン・セントラル鉄道は破綻し、1976年に連邦政府によって設立されたコンレールに買収されて国有化された。

1998年にコンレールは分割され、旧ニューヨーク・セントラル鉄道区間は新しく設立されたニューヨーク・セントラル・ラインズLLC(英語版)に移管されて、CSXトランスポーテーションと貨物専用のノーフォーク・サザン鉄道にリースされ、後に吸収された。これらの会社の路線網にはかつてのニューヨーク・セントラル鉄道の本線が含まれているが、これ以外の区間ではかつて一度もニューヨーク・セントラル鉄道の路線網ではなかった区間も含まれている。

有名なウォーターレベルルートはニューヨークとアップステート・ニューヨークを結んでおり、世界で最初の長距離複々線区間であった。
歴史
ニューヨーク・セントラル鉄道以前 1826年 - 1853年

ニューヨーク・セントラル鉄道を構成するもっとも古い部分は、ニューヨーク州で最初の恒久的な鉄道路線で、アメリカ合衆国でも最初期の鉄道であった。モホーク・アンド・ハドソン鉄道は、モホーク川沿いのスケネクタディとハドソン川沿いのオルバニーを結ぶために、1826年に路線特許を得た。これは貨物や特に旅客にとって、スケネクタディからオルバニーまでのエリー運河にある多数の閘門にかかる時間を短縮するものであった。モホーク・アンド・ハドソン鉄道は1831年9月24日に開通し、1847年4月19日にオルバニー・アンド・スケネクタディ鉄道へ改称した。

ユーティカ・アンド・スケネクタディ鉄道 (Utica and Schenectady Railroad) は1833年4月29日に路線特許を受けたが、エリー運河に並行する鉄道路線であったため貨物輸送を禁じられていた。営業運行は1836年8月2日に開始され、オルバニー・アンド・スケネクタディ鉄道の路線を西に延長し、エリー運河とは反対側のモホーク川の北に沿ってユーティカまでを結んだ。1844年5月7日にいくつかの制約を受けたものの貨物輸送を許可され、1847年5月12日には制約は完全に撤廃されたが、運河の通航料と同額を州に対して納める必要があった。

シラキュース・アンド・ユーティカ鉄道(英語版)は1836年5月1日に路線特許を受け、同様に運河から転移した貨物について州に対して支払いを行う必要があった。鉄道の全区間は1839年7月3日に開通し、ロームを経由してシラキュースまでさらに鉄道が伸びた。さらに既に開通していたオーバーン・アンド・シラキュース鉄道(英語版)によりオーバーンまで鉄道で結ばれた。この路線は、エリー運河のそばに沿ってロームを経由するために遠回りをしていたため、シラキュース・アンド・ユーティカ・ダイレクト鉄道(英語版)が1853年1月26日に路線特許を受けた。この路線は結局少しも建設されることはなかったが、1885年にニューヨーク・セントラル鉄道に買収されたウェスト・ショア鉄道(英語版)が同じ目的を後に達成した。

オーバーン・アンド・シラキュース鉄道は1834年5月1日に路線特許を取得し、1838年に大半が開通して、最後の4マイル(約6 km)の区間が1839年6月4日に開通した。その1か月後、シラキュース・アンド・ユーティカ鉄道の開通により、オルバニーから西へシラキュースを経てオーバーンまで、そしてジェニーバ(英語版)までの途中までの路線を完成させた。オーバーン・アンド・ロチェスター鉄道(英語版)は1836年5月13日に路線特許を得て、ジェニーバからカナンデイグアを経てロチェスターまでの路線延長を1841年11月4日に開通させた。この2社は1850年8月1日に合併して通称オーバーン鉄道としても後に知られる、ロチェスター・アンド・シラキュース鉄道(英語版)を形成したが、かなり遠回りであった。これを解決するために、ロチェスター・アンド・シラキュース・ダイレクト鉄道が路線特許を受け、すぐに1850年8月6日にロチェスター・アンド・シラキュース鉄道に合併した。この路線は1853年6月1日に開通し、エリー運河におおむね並行して2つの都市をより直線的に結んだ。

ロチェスターより西へは、トナワンダ鉄道(英語版)がロチェスターからアッティカ(英語版)まで1832年4月24日に特許を受けた。最初の区間である、ロチェスターから南西へバタビアまでは1837年5月5日に開通し、アッティカまでの残りの区間は1843年1月8日に開通した。アッティカ・アンド・バッファロー鉄道 (Attica and Buffalow Railroad) は1836年に路線特許を受け、1842年11月24日にバッファローから東へアッティカまで開通した。オーバーン・アンド・ロチェスター鉄道が開通した1841年の時点で、ロチェスターではトナワンダ鉄道への接続がなかったが、これを例外としてバッファローからオールバニまでの鉄道路線が全通した。1844年3月19日にトナワンダ鉄道は接続路線の建設を認可され、同年開通させた。オールバニ・アンド・スケネクタディ鉄道は、オールバニからバッファローまでのほかの鉄道会社の所有するすべての荷物車郵便車・移民車(三等車より等級の低い車両)を1848年2月17日に買収して、通しの列車運行を開始した。

1850年12月7日には、トナワンダ鉄道とアッティカ・アンド・バッファロー鉄道が合併してバッファロー・アンド・ロチェスター鉄道(英語版)となった。バッファローから東へバタビアまでの新しい直通路線は1852年4月26日に開通し、旧線のうちバッファローの東にあるデピュー(英語版)とアッティカの間はバッファロー・アンド・ニューヨーク・シティ鉄道 (Buffalo and New York City Railroad) へ11月1日に売却された。この路線はニューヨーク・アンド・エリー鉄道の鉄道網に編入され、同社の6フィート広軌改軌された。

スケネクタディ・アンド・トロイ鉄道(英語版)は1836年に路線特許を得て1842年に開通し、ハドソン川とスケネクタディを結ぶもう1本の経路となり、ハドソン川側ではトロイを終点としていた。

ロックポート・アンド・ナイアガラフォールズ鉄道 (Lockport and Niagara Falls Railroad) は1834年にエリー運河沿いのロックポートから西へナイアガラフォールズまでの路線特許を受けた。この路線は1838年に開通した。1850年12月14日にロチェスター・ロックポート・アンド・ナイアガラフォールズ鉄道(英語版)として再編されて、東のロチェスターまでの延長を1852年7月1日に開通させた。

バッファロー・アンド・ロックポート鉄道 (Buffalo and Lockport Railroad) は1852年4月27日にロチェスター・ロックポート・アンド・ナイアガラフォールズ鉄道の支線をロックポートからバッファローまで建設する路線特許を受けた。1854年に開通し、ロックポートからトナワンダ(英語版)まで走り、そこで1837年に開通したバッファロー・アンド・ナイアガラフォールズ鉄道(英語版)に合流して残りのバッファローまでの路線を走った。

シラキュース・アンド・ユーティカ・ダイレクト鉄道に加えて、結局建設されなかった鉄道会社としてはモホーク・バレー鉄道 (Mohawk Valley Railroad) があり、1851年1月21日に路線特許を受け、モホーク川の南側をスケネクタディからユーティカまで、これらの町とエリー運河の対岸に建設することになっていた。この場所には後にウェスト・ショア鉄道が建設された。


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