ニューベッドフォード
市
New Bedford
ニューベッドフォード港
愛称: 捕鯨の町
標語: Lucem Diffundo (ラテン語)
私は明かりを広げる[1]
ブリストル郡内の位置(赤)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度38分10秒 西経70度56分05秒 / 北緯41.63611度 西経70.93472度 / 41.63611; -70.93472
ニューベッドフォード(英: New Bedford)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州のブリストル郡にある都市。人口は10万1079人(2020年)。
フォールリバーやトーントンと共に州南岸の主要都市圏を構成している。さらに広いプロビデンス・フォールリバー・ニューベッドフォード大都市圏には、国内で最大のポルトガル系アメリカ人の社会がある。
19世紀には、ナンタケットやコネチカット州ニューロンドンと並ぶ捕鯨基地だった。現在は衰退しているが、ニックネームは「捕鯨の町」である[3]。 17世紀より前、バザーズ湾に注ぐアクシュネット川沿いの土地ではワンパノアグ族インディアンが唯一の住民だった。ワンパノアグ族はマーサズ・ヴィニヤードやナンタケットを含み、現在のマサチューセッツ州南東部からロードアイランド州に掛けて集落があった。その人口は約12,000人だったと考えられている。バーソロミュー・ゴスノルドがニューイングランドを探検していた1602年5月15日に、バザーズ湾のカティハンク島に上陸した。そこからは現在のニューベッドフォードを含め、ケープ・コッドとその周辺地域を探検した。しかし、そこに開拓地を設けず、乗組員の要請に従ってイングランドに戻った。 1652年、初めてのヨーロッパ人がニューベッドフォードに入った。プリマス植民地の開拓者たちがワンパノアグ族酋長マサソイトからこの土地を購入した。この土地の譲渡が合法的に行われたかについてはその後も激しい論争の対象になってきた。インディアン部族の多くと同様に、ワンパノアグ族は私有財産という観念が無かった。彼らは土地の使用権を認めたが、恒久的にそれを放棄したとは考えていなかった可能性が強い。 開拓者達はこの土地に開拓町である旧ダートマスを建設した。これには現在のダートマスのみならず、現在のニューベッドフォード、アクシュネット、フェアヘイブン、ウェストポートが含まれていた。アクシュネット川西岸に近い旧ダートマスの部分は、当初ベッドフォード村と呼ばれており、1787年に正式にニューベッドフォード町として法人化された。この名前は町の著名人だったラッセル家が提案した。イングランドの指導的な貴族であるベッドフォード公爵の姓がラッセルだったという事実から来ていた。マサチューセッツ州ベッドフォードが1729年に法人化されていたので、この町には「ニュー」が付け加えられた。 町は18世紀後半に成長した。最初の新聞である「ザ・メドリー」(別名「ニューベッドフォード・マリーン・ジャーナル」)は1792年に発刊された[4]。この年の6月12日、最初の郵便局が設立され、ウィリアム・トービーが初代郵便局長になった。1796年、ニューベッドフォードとフェアヘイブンの間に橋が建設され(当初は有料橋だった)、成長が加速された。フェアヘイブンは1812年にニューベッドフォードから分離して独立した町となった。このときは現在のアクシュネットの町も含まれていた。ニューベッドフォードは1847年に公式に市となった。エイブラハム・ハザウェイ・ハウランドが初代市長になった。これとほぼ同じ頃、その水深が深い港と本土にあるということで、ナンタケットに代わって国内でも最大級の捕鯨港になった。19世紀は市の経済で捕鯨が大きな部分を占めていた。 1800年まで、ニューベッドフォードとその周辺社会は、大部分がイングランド、スコットランド、ウェールズ出身のプロテスタントだった。19世紀前半に多くのアイルランド人がマサチューセッツ州に移って来た。 1818年、アイルランドからの移民はカトリック伝道所を作り、それがセントメアリーズ教会を建設した。後にポルトガルとその族領であるアゾレス諸島、カーボベルデ諸島、マデイラ諸島から、捕鯨業に関連してニューベッドフォードとその周辺地域に入ってくるようになった。ポルトガル系アメリカ人が増加していき、1871年には市内にポルトガル系で初の教区であるセントジョン・アンド・バプテストを設立した。これと同じ頃にフランス系(主にフランス系カナダ人)もニューベッドフォードに地盤を築くようになり、1877年にセイクレッド・ハート教会を建設した。 同様にポーランド系移民は1903年にアワー・レディ・オブ・パーペチュアル・ヘルプ教区を設立した。19世紀後半には多くのユダヤ系家族が到着し、捕鯨業で活動し、物資を売り、船の艤装を行った。第一次世界大戦に繋がる時代にはかなりの数の東欧系ユダヤ人がこれに加わり、その多くは主に繊維産業など製造業で商人や事業家となった。 1847年、ジェイムズ・アーノルドがニューベッドフォード園芸協会を設立した[5]。 ニューベッドフォード市は北緯41度39分06秒 西経70度56分01秒 / 北緯41.651803度 西経70.933705度 / 41.651803; -70.933705 フェアヘイブンと海を共有するニューベッドフォード港は、バザーズ湾に注ぐアクシュネット川の入り江である。この川は市の南端であるクラークスポイントの先で湾に入っている。クラークスポイントの西にはクラークスコーブ(小さな湾)があり、湾から1.5マイル (2.4 km) 入り込んでいる。アクシュネット川に浮かぶパーマー島のすぐ南には、フェアヘイブンのフォートフェニックス近くに始まる長さ2マイル (3.2 km) のハリケーン防波堤があり、1960年代に建設され漁業船団が停泊する内港を守っている。
歴史
開拓初期
移民の増加ノース・コングリゲイショナル教会、パーチェイス通り、1906年
地理