ニューブリテン島の戦い
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ニューブリテン島の戦い


戦争:大東亜戦争 / 太平洋戦争
年月日:1943年12月15日?1945年8月15日
場所:ニューブリテン島
結果:1945年8月の終戦まで戦闘は継続
交戦勢力
大日本帝国 アメリカ合衆国
オーストラリア
 ニュージーランド
指導者・指揮官
今村均
戦力
100,00020,000
ニューギニアの戦い


珊瑚海

ポートモレスビー

ラビ

ビスマルク海

カートホイール作戦

ラエ・サラモア

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フィンシュハーフェン

ニューブリテン

アドミラルティ諸島

エミラウ

ホーランジア

竹一船団

サルミ・ワクデ

ビアク

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ヌンホル

サンサポール

アイタペ

モロタイ

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ニューブリテン島の戦い(英:New Britain campaign / Battle of New Britain)は、太平洋戦争大東亜戦争)中のニューギニア戦線における日本軍と、オーストラリア軍アメリカ軍ニュージーランド軍からなる連合国軍との間の戦闘である。オーストラリアの信託統治領のパプアニューギニアビスマルク諸島最大の島のニューブリテン島で行われた。1943年12月15日に連合国軍が上陸して開始され、日本軍との戦いは終戦の1945年8月15日まで続いた。
目次

1 主な経過

2 主な戦い

2.1 アラウェの戦い

2.2 グロスター岬の戦い(ツルブの戦い)

2.3 タラセアの戦い

2.4 ジャキノット湾の戦い

2.5 ワイド湾の戦い(ズンゲンの戦い)


3 題材にした作品

4 脚注

5 関連項目

主な経過

オーストラリアの信託統治領であったニューブリテン島は、1942年に日本軍占領し(ラバウルの戦い/1942年)、ソロモン諸島方面進出の拠点とし、またオーストラリアへの空襲を支援する拠点ともなった。その後1943年4月7日 - 4月15日には日本海軍の第十一航空艦隊第三艦隊所属の艦載機により、ガダルカナル島ニューギニア島南東部のポートモレスビーオロ湾ミルン湾の連合国軍に対して「い号作戦」が行われた連合国軍に大きな被害を出した。

これに対して連合国軍は同年10月12日 - 11月11日ラバウル空襲を行い、続く同年12月15日にはニューブリテン島の西部のマーカス岬(アラウェ)にアメリカ第112機甲連隊が上陸(アラウェの戦い(英語版))、12月26日にはアメリカ第1海兵師団グロスター岬に上陸し(グロスター岬の戦い)、この地域を守備していた日本軍の第65旅団第17師団を攻撃した(カートホイール作戦)。


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