ニューブランズウィック州
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ニューブランズウィック州
New Brunswick
Nouveau-Brunswick


州旗)(州章)
モットー: ラテン語:"Spem reduxit"
(英語:Hope restored)

基本データ
州花ムラサキスミレ
(Purple Violet)
州木バルサムモミ
(Balsam Fir)
州鳥アメリカコガラ
(Black-capped Chickadee)
州都フレデリクトン
最大の都市モンクトン
州の公用語英語仏語
(唯一公用語がバイリンガルの州)
面積
 - 総計
 - 陸地
 - 水域(割合)
最高標高(国内第11位)
72,908 km²
71,450 km²
1,458 km² (2.0%)
817 m
人口2011年
 - 総計
 - 人口密度(国内第8位)
751,171
10.51 人/km²
GDP2011年
 - 州合計
 - 1人当たり(国内第9位)
321億8,000万[1]カナダドル
4万2,606カナダドル
連邦政府加入
 - 順番
 - 加入年月日
1番目
1867年7月1日
時間帯大西洋標準時(AST、UTC-4
大西洋夏時間(ADT、UTC-3
郵便コード
郵便番号
ISO 3166-2:CANB
E
CA-NB
公式サイトhttps://www.gnb.ca/
行政
副総督ブレンダ・マーフィ
州首相ブライアン・ギャラント(英語版)(ニューブランズウィック自由連合)
カナダ議会
 -下院議席数
 -上院議席数
10
10

母語話者(ニューブランズウィック州) 2011

英語  65.58%
フランス語  31.90%

人種構成(ニューブランズウィック州) 2006

白人  95.7%
先住民  2.5%
黒人  0.6%
その他の有色人種  1.3%

ニューブランズウィック州(ニューブランズウィックしゅう、: New Brunswick [nju? ?b??nz.w?k]: Nouveau-Brunswick [nu.vo.b??n.swik], ケベック・フランス語: [nu.vo.b??n.zw?k] ( 音声ファイル))は、カナダ東部の大西洋に面する。 フランス語での名称はヌーヴォーブランズウィック州。アカディア人などのフランス語を母語とする住民が人口の約3割を占め、英語とフランス語の2言語を公用語としている唯一の州である。州都はフレデリクトン。総面積73,500km2、州人口は75万1,171人(2011年推計)[2]。ニューブランズウィックとは英語で「新たなブラウンシュヴァイク」を意味する。目次

1 歴史

2 地理

3 地方行政区分

4 言語

5 主な都市

6 教育

6.1 大学

6.2 コミュニティカレッジ


7 交通

8 ギャラリー

9 脚注

10 関連項目

11 外部リンク

歴史

ヨーロッパからの移民以前より、ミクマク族(Micmacs、Mi'kmaq)、マリシート族(Maliseet)などの狩猟と採集を営む先住民族が住んでいた。その後フランス植民地時代よりフランス系の移民の多く住む「アケイディア(英)(Acadia)」または「アカディー(仏)Acadie)」と呼ばれていた。仏領ヌーベル・フランス(現:ケベック州)と英領ニューイングランドの間に位置するアケイディアの領有権は北米植民地の覇権を争う二国の間を度々行き来し、1755年、フレンチ・インディアン戦争勃発を機に、英国はフランス系住民(アケイディアン(英)Acadiansまたはアカディアン/アカディエンヌ(仏))に対し、英国に忠誠を誓うことを強制した。これを拒否し、あくまで中立を固持したフランス系住民に対し、英国軍は1755年から1763年までにその住居を焼き、フランス本国または英国植民地に強制送還するという、現代の国際法の観点から見ると大変非人道的な措置を取った。この事件は「大艱難(フランス語版、英語版)」(英:Great Upheaval、Great Expulsion、Deportation、または Acadian Expulsion)と呼ばれる。強制送還を逃れたフランス系住民の多くは先住民の手を借りて仏領ヌーベル・フランスに逃亡した。なお、現米国ルイジアナ州にあたる地域に定住した人々の子孫が今日のケイジャンである。

独立の機運の高まっているアメリカよりイギリス本国に忠誠を尽くす「ロイヤリスト(王党派)」が南よりやってきて、1784年ニューブランズウィック植民地が創設され、ノバスコシアからの分離が実現した。

強制送還されたアケイディアの人々の多くは1763年ごろから旧アケイディアに帰還し、イギリス系住民の居住地を避けて旧アケイディアより北のニューブランズウィック州、ノバスコシア州プリンスエドワード島沿岸部に定住した。ニューブランズウィック州では、南東部沿岸(モンクトン、シェディアック Shediac付近)、北部沿岸、およびセント・ジョン川(Saint John River)流域のマダワスカ郡がそれにあたる。年配のフランス系住民の間では現在に至るまで英国および英語を母国語とする住民に対する反感が根強い。

ニューブランズウィックは1867年のカナダ自治領(Dominion of Canada)の成立した当初の4州のうちの一つである。

1969年にカナダの州としては初めて英語に加えてフランス語を公用語に制定し、特にそれまで劣勢に置かれていたフランス語の保護政策が取られている。
地理

北東部と南部で大西洋に一部面していて、北はレスティグーシュ川を挟みケベック州と接している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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