ニューカッスル公爵
[Wikipedia|▼Menu]

ニューカッスル公爵(英語: Duke of Newcastle)は、かつて存在したイギリス公爵位。

ニューカッスル=アポン=タイン公爵(Duke of Newcastle-upon-Tyne)とニューカッスル=アンダー=ライン公爵(Duke of Newcastle-under-Lyne)の2つがある。ニューカッスル=アポン=タイン公爵は過去に3回創設されているが(最初の2回はイングランド貴族爵位、最後の物はグレートブリテン貴族爵位)、1768年に廃絶した。ニューカッスル=アンダー=ライン公爵は1756年に初代ニューカッスル=アポン=タイン公(3期)トマス・ペラム=ホールズが叙されたことにはじまり、彼の死後に特別継承権でリンカーン伯爵クリントン家に継承されたが(この継承に際して同家はペラム=クリントンと改姓)、1988年に廃絶した。リンカーン伯爵位は2代リンカーン伯まで遡っての分流によって継承されて現存する。
目次

1 歴史

1.1 キャヴェンディッシュ家

1.2 ホールズ家とペラム家

1.3 クリントン家


2 一覧

2.1 ニューカッスル=アポン=タイン公 第1期 (1665年)

2.2 クレア伯 (1624年)

2.3 ニューカッスル=アポン=タイン公 第2期 (1694年)

2.4 ニューカッスル=アポン=タイン公 第3期 (1715年)

2.5 ニューカッスル=アンダー=ライン公 (1756年)


3 系図

4 出典

5 参考文献

6 関連項目

歴史
キャヴェンディッシュ家

ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1592-1676)は、北部リンカンシャーを本拠とする大地主であり、清教徒革命イングランド内戦)の際には北部で独立した指揮権を行使して王党派として議会派と戦った[1][2]。彼は1620年10月29日にイングランド貴族爵位「ノッティンガム州のマンスフィールド子爵」、1628年3月7日にイングランド貴族爵位「ニューカッスル=オン=タイン伯爵」と「ダービー州におけるボルソーバーのキャヴェンディッシュ男爵」に叙せられ、1629年には第9代オグル男爵(英語版)を継承していた。内乱中の1643年10月27日にはイングランド貴族爵位「ニューカッスル=オン=タイン侯爵」に叙せられた[3]。王党派が敗れたため、革命後には所領を没収されるも、王政復古後の1665年3月16日には勤王を評価されて「ノーサンバーランド州におけるニューカッスル=アポン=タイン公爵」と「ノーサンバーランド州におけるオグル伯爵」に叙せられている[4][3]。これがニューカッスル=アポン=タイン公爵の最初の創設だった。

初代公爵の死後、息子のヘンリー・キャヴェンディッシュ(1630-1691)に第2代ニューカッスル=アポン=タイン公爵位が継承された。彼も王党派として宮廷内で官職を与えられるとともに、議会では襲爵前に庶民院議員、襲爵後には貴族院議員として活躍した。しかし息子ができず、彼の死去とともに爵位は消滅した[4][5]
ホールズ家とペラム家

ヘンリー・キャヴェンディッシュの娘マーガレット(英語版)は、第4代クレア伯(英語版)ジョン・ホールズ(1662-1711)と結婚した[6]。ヘンリー・キャヴェンディッシュの所領・財産は彼女を通じて、この4代クレア伯が継承した。この財産継承を有力な根拠として、彼は1694年5月14日にニューカッスル=アポン=タイン公爵(2期)とクレア侯爵位に叙されている[4][7]。彼は所領の拡大と開発に努め、死去する1711年までに年4万ポンドの地代を受ける最有力大地主の一人となった[8]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:47 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef