ニューカッスル公爵(英語: Duke of Newcastle)は、かつて存在したイギリスの公爵位。ニューカッスル=アポン=タイン公爵 (Duke of Newcastle-upon-Tyne) とニューカッスル=アンダー=ライン公爵 (Duke of Newcastle-under-Lyne) の2つがあった。
ニューカッスル=アポン=タイン公爵は過去に3回創設されているが(最初の2回はイングランド貴族爵位、最後の物はグレートブリテン貴族爵位)、1768年に廃絶した。ニューカッスル=アンダー=ライン公爵は1756年に初代ニューカッスル=アポン=タイン公(3期)トマス・ペラム=ホリスが叙されたことにはじまり、彼の死後に特別継承権でリンカーン伯爵クリントン家に継承されたが(この継承に際して同家はペラム=クリントンと改姓)、1988年に廃絶した。リンカーン伯爵位は2代リンカーン伯まで遡っての分流によって継承されて現存する。 ウィリアム・キャヴェンディッシュ (1592-1676) は、北部リンカンシャーを本拠とする大地主であり、清教徒革命(イングランド内戦)の際には北部で独立した指揮権を行使して王党派として議会派と戦った[1][2]。彼は1620年10月29日にイングランド貴族爵位ノッティンガム州のマンスフィールド子爵、1628年3月7日にイングランド貴族爵位ニューカッスル=オン=タイン伯爵とダービー州におけるボルソーバーのキャヴェンディッシュ男爵に叙せられ、1629年には第9代オグル男爵
歴史
キャヴェンディッシュ家
初代公爵の死後、息子のヘンリー (1630-1691) に爵位が継承された。彼も王党派として宮廷内で官職を与えられるとともに、議会では襲爵前に庶民院議員、襲爵後には貴族院議員として活躍した。しかし息子ができず、彼の死去とともに爵位は消滅した[4][5]。 2代公ヘンリーの娘マーガレット
ホリス家とペラム家
しかし彼も男子がなかったので、遺産争いの末に妹グレイスと初代ペラム男爵トマス・ペラムの間の息子であるトマス・ペラム=ホリス (1693-1768) が財産の多くを継承した。この財産相続を根拠として、彼は1717年8月11日にグレートブリテン貴族爵位としてニューカッスル=アポン=タイン公爵(3期)に叙せられた[9][10]。また彼は政界においてホイッグ党幹部の貴族院議員として活躍し、首相(在職:1754年 - 1756年、1757年 - 1762年)を務めた[11]。なお彼の弟ヘンリー・ペラム (1694?1754) もホイッグ党幹部の庶民院議員であり、首相(在職:1743年 - 1754年)を務めている[12]。
トマスには子供がなく、その弟ヘンリーにも女子があるだけだった。そこでペラム家の財産は妹ルーシー (?-1736) の息子である第9代リンカーン伯爵ヘンリー・クリントン (1720-1794) に、ヘンリー・ペラムの娘キャサリン (1727?1760) との結婚を条件に継承させることになった[13]。さらに1756年11月17日には特別継承権で9代リンカーン伯に継承可能なニューカッスル=アンダー=ライン公爵位(グレートブリテン貴族爵位)がトマス・ペラム=ホリスに与えられた[14][10]。 トマス・ペラム=ホリスの死後、ニューカッスル=アポン=タイン公爵位は消滅するが、ニューカッスル=アンダー=ライン公爵位は特別継承権でリンカーン伯爵クリントン家によって継承された。公爵位の継承に際して第9代リンカーン伯ヘンリー・クリントンは勅許を得て「ペラム=クリントン」と改姓している[15]。 5代公ヘンリー (1811-1864) は、保守党、ピール派、自由党など党派を移動しながら閣僚職を歴任した[16]。 8代公ヘンリー
クリントン家
その息子である9代公 ヘンリー(英語版)(1907?1988) には男子ができなかった[18]。そのため1988年11月4日の彼の死後、4代公の次男チャールズ・ペラム=クリントン卿(英語版)の曽孫であるエドワード・ペラム=クリントン(英語版)(1920?1988) が、10代公を継承したが、継承してまもない1988年12月25日に死去した。彼には子供がなかったので、これをもってニューカッスル=アンダー=ライン公爵位は継承資格者がいなくなって廃絶した[19]。
一方リンカーン伯爵位は、2代リンカーン伯まで遡っての分流(10代公にとっては十従兄弟にあたる)であるエドワード・ホリス・ファインズ=クリントン(英語版)に継承されている。