「ニーウ・アムステルダム」はこの項目へ転送されています。オランダ・ドレンテ州の村については「ニーウ・アムステルダム (オランダ)」をご覧ください。
この項目では、オランダ植民地時代のニューヨークについて説明しています。ガイアナの第二の都市については「ニューアムステルダム (ガイアナ)」を、2018年から放送されている米国のテレビドラマについては「ニュー・アムステルダム 医師たちのカルテ」をご覧ください。
ニーウ・アムステルダム
Nieuw Amsterdam
1650年代のニューアムステルダム。現在のニューヨークと違い、自然が豊かな場所だったことがわかる。
位置
行政
国 ネーデルラント連邦共和国
州 ニーウ・ネーデルラント
市ニーウ・アムステルダム
ニューアムステルダム(英: New Amsterdam)、ニーウアムステルダム(蘭: Nieuw Amsterdam)は、オランダ植民地時代のニューヨークの名称。
概説1660年、マンハッタンはニューアムステルダムの一部だった。地図の右方向が北になる。
1609年、アジアに通じる北西航路を発見するためオランダ東インド会社に雇われた英人ヘンリー・ハドソンが発見した。当時、アメリカ大陸の全容は未知であり、アジアに通じる北西航路があると信じられていたため、東インド会社が探検隊を送ったものである。
ハドソンはハドソン川をさかのぼり、流域一帯をオランダ領ニューネーデルラント(ニーウネーデルラント)と宣言した。ハドソン川の名はハドソンの名にちなむものである。その後、オランダ西インド会社の管轄に移され、ビーバーなどの毛皮が取れるハドソン川流域の植民が行われた。
ニューヨークはオランダ人が25ドルでインディアンから買ったという話は単なる伝説のようだが、1626年頃、ハドソン川下流のマンハッタン島南端にオランダの植民拠点が建設され、ニューアムステルダム(ニーウアムステルダム)と命名された。ニューネーデルラント植民地の主邑となったニューアムステルダムは1653年に正式に市の資格を与えられている。
当時は運河がはりめぐらされた土地であり、また侵入者に備えて防壁が随所に築かれた(ウォール街)。
北米植民地戦争詳細は「北米植民地戦争」を参照
1664年、英軍が侵攻してきたためオランダ総督ストイフェサントは無抵抗で降伏した。第二次英蘭戦争(英語版
)(1665年 - 1667年)を終結させたブレダの和約でニューアムステルダムを含むニューネーデルラントはイングランドに割譲され、チャールズ2世はこれを弟のヨーク公(後のジェームズ2世)に与えたので、ニューアムステルダムはニューヨークと改称された。これがニューヨークの起源である。その後、第三次英蘭戦争(英語版)(1672年 - 1674年)中の1673年にオランダが一時奪回し、ニューオラニエと改称されたが、1674年のウェストミンスター和約でイギリスに再度引き渡され、ニューヨークに再改称された。
表
話
編
歴
オランダ植民地帝国
アフリカ
アルギン島
ケープ植民地
デラゴア湾
オランダ領黄金海岸
ゴレ島
モーリシャス
アメリカ
オランダ領ブラジル
ニューアムステルダム
オランダ領ギアナ
ベルビス
カイエンヌ
デメララ
エセキボ
ポメローン
スリナム
ニューネーデルラント
ニューアムステルダム
ベヴァーウィク
ニューアムステル
トバゴ島
ヴァージン諸島
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アルバ
アジアとオセアニア
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オランダ領東インド
インドネシア
オランダ領インド
コロマンデル海岸
マラバール海岸
出島
マラッカ
フォルモサ島
オランダ領ニューギニア
北極
スメーレンブルク
関連項目
オランダ東インド会社
オランダ西インド会社
オランダ領インド航空
オランダ語連合