「ニュル」はこの項目へ転送されています。ドイツ連邦共和国バイエルン州の都市については「ニュルンベルク」をご覧ください。
「ニュルブルク」とは異なります。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(NurburgringのUはウムラウト)が含まれています(詳細)。
ニュルブルクリンク
GPコース (GP-Strecke)
北コース (Nordschleife)
複合コース
所在地 ドイツ ニュルブルク
標準時UTC+1 (DST:UTC+2)
FIAグレード1
オープン1927年
主なイベントFIA フォーミュラ1
ドイツグランプリ
ヨーロッパグランプリ
ルクセンブルクグランプリ
アイフェルグランプリ
ニュルブルクリンク24時間レース
DTM
GTワールドチャレンジ・ヨーロッパ
GPコース (2002-)
路面アスファルト
コース長5.148 km (3.199 mi)
コーナー数15
レコードタイム1:28.139 ( マックス・フェルスタッペン, レッドブル・RB16, 2020, フォーミュラ1)
GPコース (1984-2001)
路面アスファルト
コース長4.556 km (2.831 mi)
コーナー数12
レコードタイム1:18.354 ( ファン・パブロ・モントーヤ, ウィリアムズ・FW23, 2001
ニュルブルクリンク(独・英・等: Nurburgring)は、ドイツのニュルブルクにある2つの異なる性格を持つサーキットの総称。
日本語では「ニュル」と略称で呼ばれることもある。 当初の名称は Nurburg-Ring であったが、1933年にナチスがドイツのモータースポーツ全体に資金援助を行なって改修され、この時にハイフンの無い Nurburgring に改められた。 "Nurburgring" はドイツ語であるが、サーキットに名をつけるために新たに造語された呼び名である(なお固有の名前なので固有名詞である)。この語の構成は[ de: Nurburg(一地名)」+ 「Ring ドイツ北西部、ラインラント=プファルツ州アイフェル地方のニュルブルクにあり、豊かな森の中にある古城ニュルブルク城
名称
概説
ニュルブルクリンクは2つのサーキットの総称であり、1927年に作られた全長20.832kmの北コース(Nordschleife、ノルトシュライフェ)というサーキット、および、1984年に新設された全長5.1kmのGPコース (GP-Strecke、GPシュトレッケ) というサーキットに分けることができる。単に「ニュルブルクリンク」という場合は、大抵は北コースを指している。
北コースだけで利用される場合や、GPコースだけで利用される場合、北コースとGPコースを繋げて利用される場合がある。
歴史
このコースの歴史を遡ると1920年代に遡ることになる。ドイツでは1920年半ばまで自動車レースは公道で行われていて観客を巻き込んだ事故が起きがちで危険であったので、公道を用いないレース用サーキット(クローズドサーキット)の登場が望まれていた。アイフェル地方の議員が、レース開催地、失業者対策、自動車メーカー用テストコースとしての活用、観光客誘致などの目的を織り込んで専用サーキット建設計画を提案、これが現在の「北コース」に当たる部分となった。建築家グスタフ・アイヒラー(Gustav Eichler)率いるEichler設計事務所によるコースデザインに基づいて1925年に建設が始まり、1927年に竣工し利用開始された。→#歴史
北コース
北コースは世界最長のサーキットであり、かつ山間部の高低差を利用した変化に富むコースレイアウトに加えて、にわか雨や濃霧など天候の変化という要素も加わることから、「世界有数の超難関コース」「世界有数のドライバーズサーキット」などとして知られる。
(建設当初から自動車メーカーがテストコースとして利用することを目的のひとつとして織り込んでいたわけであるが)さらに後述する過酷なコース条件であることもあり、「スポーツカー開発の聖地」と呼ばれ[1]、世界中の自動車メーカーが大挙してスポーツカーを(メーカーによっては乗用車も)持ち込んで開発(のための走行)を行っている。また北コースのラップタイムはスポーツカーやレーシングカーの性能を測る指標となっている[2]。