ニヌルタ
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ニヌルタ
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農業、狩猟、戦争の神
カルフのニヌルタ神殿で発見されたアッシリアの石製レリーフ。エンリル神から天命の書板(英語版)を盗み出したアンズーを雷を持って追うニヌルタ神。オースティン・ヘンリー・レヤード『Monuments of Nineveh, 2nd Series』(1853年)
住処ニップルのエ・シュメシャ(Eshumesha)神殿
後のアッシリア時代にはカルフ
惑星土星
シンボル鋤と止まり木に止まった鳥(perched bird)
配偶神

ニヌルタとして:グラ(英語版)[1]
ニンギルスとして:バウ(英語版)[1]
親通常はエンリル神とニンフルサグ女神。エンリル神とニンリル女神である場合もある
乗り物時にライオンの体とサソリの尾を持った獣に乗っている
ギリシア神話クロノス[2]
ローマ神話土星[2]
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ニヌルタ(????: DNIN(英語版).URTA(英語版)、「オオムギ[の]主」[3])またはニンギルス(Nin?irsu、?????:DNIN(英語版).?IR2.SU(英語版)、「ギルス(英語版)[の]主」[4])は農耕、治癒、狩猟、法、筆記、戦争に関連する古代メソポタミアの神(英語版)。シュメル時代から信仰を得ていた。最初期の記録では、ニヌルタは農業と治癒の神であり、人々の病を治し悪魔の力から解放する神であった。後の時代には、メソポタミアの軍事化に伴い、農耕神としての初期の属性の多くを保持しつつも戦士の神となっていった。彼は神々の長エンリル神の息子であると考えられており、シュメルにおける宗教行為(英語版)の中心はニップル市のエ・シュメシャ(Eshumesha)神殿であった[1]ラガシュグデア王(在位:前2144年-前2124)はニンギルスを称え、ラガシュにニンギルス神殿を再建した。

後にニヌルタはアッシリア人から素晴らしい戦士として人気を博するようになった。アッシリア王アッシュル・ナツィルパル2世(在位:前883年-前859年)はニヌルタ神のためにカルフに巨大な神殿を建設した。その後、この神殿はニヌルタの最も重要な信仰の拠点となった。

叙事詩『ルガル・エ(英語版)』では、ニヌルタは喋る棍棒シャルル(英語版)を用いて悪魔アサグを殺し、石を使ってティグリス川ユーフラテス川を灌漑できるようにした。シュメルの『農事歳時記』とも呼ばれる詩では、ニヌルタは農民たちに農業にまつわる助言を与えている。あるアッカド神話では、ニヌルタは父であるエンリル神から天命の書板(英語版)を盗み出したアンズー鳥に立ち向かう神々の英雄(champion of the gods[訳語疑問点])であり、そしてある神話では「殺された勇士たち(Slain Heroes)」と呼ばれる戦士たちの一団を殺害した神である。この神話は完全な形では現存しないが多くの作品で触れられている。ニヌルタ神の主たるシンボルは止まり木に止まった鳥(perched bird)と鋤である。

ニヌルタは「勇敢な狩人」ニムロドの人物像に影響を与えているかもしれない。彼は『旧約聖書』「創世記」においてカルフと関連付けられて言及されている。むしろ、より伝統的には、神話上のニヌルタが、聖書のニムロドとされるような歴史上の人格から影響を受けているともされる[5]。彼はまた『旧約聖書』「列王記下」でニスロクという名で言及されているかもしれない[注釈 1]。19世紀、カルフのニヌルタ神殿から発見された有翼鷲頭の人物像が「ニスロク」であるという誤った理解が一般に普及し、当時のファンタジー文学の中にこの設定が見られる。
信仰グデアがニンギルス神に捧げた粘土板。「エンリル神の強き戦士、彼の主、ニンギルスへ、ラガシュのエンシ(英語版)グデア。」グデアの円筒(英語版)。前2125年頃。夢のお告げに従ったラガシュのグデア王がどのようにしてラガシュのニンギルス神殿を再建したのかを述べている。

ニヌルタは前3千年紀半ば頃には既にシュメル人によって崇拝されており[6]、メソポタミアにおいて最も古くから存在が確認されている神の一柱である[6][3]。信仰の中心はシュメルの都市国家ニップルのエ・シュメシャ(Eshumesha)神殿で[6][3][7]、農耕の神として、また、都市神エンリルの息子として信仰された[6][3][7]。元来は別々の神であったかもしれないが、歴史時代に入った後には既にシュメルの都市国家ギルス(英語版)で信仰されたニンギルス神は現地におけるニヌルタの形とされていた[3]。アッシリア学者ジェレミー・ブラックとアンソニー・グリーン(Anthony Green)によれば、ニヌルタとニンギルスの性格は「密接に絡み合っていた」[3]。都市国家ギルスの重要性が低下するにつれ、ニンギルスは「ニヌルタ」として認識される度合いを増し[4]、主としてその好戦性と戦争にまつわる性質によって特徴づけられるようになっていった。

後の時代にはニヌルタは荒々しい戦士という評価によってアッシリア人から大きな人気を集めた[6][8]。前2千年紀末にはトゥクルティ・ニヌルタ(ニヌルタに信頼される者)、ニヌルタ・アピル・エクル(ニヌルタは[エンリルの神殿]エ・クルの後継者なり)、ニヌルタ・トゥクルティ・アッシュル(ニヌルタはアッシュル神の信頼する者なり)のように[6]、アッシリア王たちは頻繁にニヌルタを王名の一部とした[6]トゥクルティ・ニヌルタ1世(在位:前1243年-前1207年)はある碑文で、彼が「余を寵愛されるニヌルタ神の命令の下で」狩猟を行ったと宣言している[6]。同様にアダド・ニラリ2世(在位:前911年-前891年)はニヌルタとアッシュルが彼の統治を後援していると主張し[6]、彼の統治権の道徳的正当性によりニヌルタとアッシュルの敵を打倒したと宣言している[6]。前9世紀、アッシュル・ナツィルパル2世(在位:前883年-前859年)はアッシリア帝国の首都をカルフへと遷した[6]。そこで彼が最初に建てた神殿はニヌルタに捧げられたものであった[6][9][8][10]アッシリア帝国におけるニヌルタ信仰の中心であったカルフ市の1853年の復元図。


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