株式会社ニップン
NIPPN CORPORATIONニップン本社ビル(東京都千代田区麹町)
種類株式会社
市場情報東証プライム 2001
株式会社ニップン(英: NIPPN CORPORATION)は、製粉業、食品業を営む会社。製粉分野では日清製粉に次いで日本国内シェア2位。1873年4月に官営札幌製粉所として創業した日本初の製粉会社であり、欧米式機械を利用した日本初の製粉会社でもある。2020年までの社名は日本製粉株式会社(にっぽんせいふん、英: NIPPON FLOUR MILLS CO., LTD.)。「ニップン」「オーマイ[注釈 1]」「REGALO(レガーロ)」ブランドで知られる。 製粉業界最古参。第一次大戦後の不況による経営不振のおり三井物産の支援を受けたことから、三井グループの製粉会社となった。創業以来、小麦粉・ふすま・そば粉等の業務用製粉事業を行っている。家庭用小麦粉・プレミックス粉(ホットケーキ用ミックス等)・パスタ・冷凍食品の食料品事業も大きな柱となっており、2012年(平成24年)現在では業務用製粉事業の売上高を上回る。その他、グループでペットフード、健康食品、食品関連の機械装置の製造、ミスタードーナツなどの外食事業も行っている。2013年3月期の連結売上高の構成は製粉事業35.4%、食品事業54.4%、その他10.1%。1982年から2017年までイタリアの有名パスタブランド『バリラ (Barilla)』のライセンス契約を保有し日本国内の独占販売を行っていた[注釈 2] 。 食料品事業の強化が進んでいく中で「製粉」の名がつく社名では事業内容を十分に表現できなくなったことから、2021年1月に設立以来初の商号変更が行われ、1996年からコミュニケーションネームとして用いていたニップンが正式社名となった[注釈 3]。
概要
沿革
前史(1873年 - 1896年)
1873年(明治6年)4月 - 北海道で官営札幌製粉所を設立。後にニップンと合併[1]。
1879年(明治12年) - 実業家の雨宮敬次郎がアメリカ製石臼製粉器を導入して[7]、東京府南葛飾郡八右衛門新田(現在の江東区扇橋)で製粉会社を起業[注釈 4]。社名は泰靖社。水車製粉全盛の時代のなか、民間人として日本初の機械製粉事業であった[9]。
1886年(明治19年) - 大蔵省の製粉場[注釈 5]を譲り受け、泰靖社と合わせて有限責任日本製粉会社を築地南小田原町(現・中央区築地6-7丁目)に設立[8]。
1887年(明治20年) - 工場操業認可される[8]。軍納で業績を上げる[7]。
1888年(明治21年) - 本社・工場を八右衛門新田の旧工場に移転[9]。
1889年(明治22年) - 経営を志摩万次郎[注釈 6]へ譲渡[8]。
1892年(明治25年) - 軍納品の競争入札制度開始により業績不振となり[9]、経営を第四十国立銀行頭取の南条新六郎と弁護士の境豊吉へ譲渡[8]。
1893年(明治26年) - 有限責任日本製粉会社解散し、南条、境らで東京製粉合資会社創立[8]。日清戦争特需で業績急成長する[9]。
日本製粉(1896年 - 2020年)日本製粉時代の工場(1931年撮影)
1896年(明治29年)
9月26日 - 日本製粉株式会社設立総会[11]。
12月31日 - 東京製粉合資会社の資産を継承し日本製粉株式会社を開業[11]。
アメリカからロール製粉機を輸入し、深川東扇橋町に新工場を開設して大量生産を開始[注釈 7]。
1907年(明治40年) - 明治製粉株式会社を合併。日露戦争特需で乱立した新設の製粉会社が供給過剰で業績不振となり、以降、日本製粉との合併が相次いだ[9]。