ニッケル・鉄電池
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ニッケル・鉄電池1901年にエジソンにより開発されたExideブランドで1972年から75年まで製造されたニッケル・鉄電池
重量エネルギー密度19-25 [1] Wh/kg
体積エネルギー密度30[2] Wh/l
出力荷重比100[3] W/kg
充電/放電効率<65%[4]
エネルギーコスト1.5[2] ? 6.6[3] Wh/US$
自己放電率20%[2][3] ? 30%[3]/月
時間耐久性30[4] ? 50年[2][5]
サイクル耐久性深放電を繰り返しても、寿命が大幅に減ることはない[2][4]
公称電圧1.2 V[3]
使用温度範囲(充電時)min. ?40 °C ? max.46 °C[6]
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自らの生産ラインのニッケル・鉄電池を持つトーマス・エジソン(1910年)

ニッケル・鉄電池(Ni-Fe電池)は正極にオキシ酸化ニッケル、負極に、電解液に水酸化カリウムを用いた二次電池である。活物質はニッケルでメッキされた鋼管または穴の開いたポケットに保持されている。過充電、過放電、短絡などの酷使に対して耐性があり、そのように扱っても非常に長い寿命を有する強い電池である[7]。切れ目なく充電し、それを20年以上続けられるバックアップの状況でよく使われる。比エネルギーが低く、電荷保持が低く、製造コストが高いため、鉄・ニッケル電池はほとんどの用途において他の種類の二次電池に取って代わられている[8]
使用

振動、高温およびその他の物理的ストレスに耐えられるため、ヨーロッパの採掘作業で長年使われてきた。電池の重量が重要ではない風力および太陽光発電システムでの使用のために再度考察されている。

多くの鉄道車両はNi-Fe電池を使用している[9][10]。ロンドン地下鉄電気機関車やニューヨーク市地下鉄R62Aなどが例である。

この技術は日々の充電が適正技術となるoff-the-grid応用の人気を取り戻している[11][12][13]

ニッケル・鉄電池は燃料電池自動車および貯蔵用の水素製造のための組電池および電気分解として使うために研究されている。これらの「バトライザー」は従来の電池のように充放電することができ、完全に充電すると水素を発生させることができる[14][15][16]
耐久性

頻繁なサイクルに耐えるこれらの電池の能力は電解液中の反応物質の低い溶解度に起因する。充電中の金属鉄の形成は、水酸化鉄の溶解度が低いために遅い。W鉄の結晶がゆっくりと形成されると電極が保護されるが、高速性能も制限される。これらの電池はゆっくりと充電されゆっくりと放電することができる。熱暴走により損傷する可能性があるため、定電圧電源から充電すべきではない。ガスが発生に伴って電池の内部電圧が低下し、温度が上がり、流れる電流が増加し、ガスや温度がさらに増加する。
電気化学

正極の半反応式は以下の通りNi2O3+ H2O + 2 e? ? 2 NiO + 2 OH?

負極の半反応式は以下Fe + 2 OH? ? Fe(OH)2 + 2 e?

(放電は左から右、充電は右から左)[17]

開回路電圧は1.4ボルトであり、放電中は1.2ボルトに低下する。水酸化カリウム水酸化リチウムとの電解液混合物は充放電で消費されないので、鉛蓄電池とは異なり電解液比重は充電状態を示さない。Ni-Fe電池を充電するのに必要な電圧は1セルあたり1.8ボルト以上である。水酸化リチウムは電池の性能を向上させる。等化充電電圧は1.65ボルトである。
歴史

1899年、スウェーデンの発明家Waldemar Jungner がニッケル・カドミウム蓄電池を発明した。Jungnerは100%鉄を含むさまざまな比率でカドミウムを鉄に代えて実験した。Jungnerはニッケル・カドミウム化学の主な利点はコストであることを発見したが、充電反応の効率が低く、水素のより著しい形成のためにニッケル技術が望まれるが、放棄されていることが発見された。Jungnerは電池の鉄にしたもののいくつかの特許を持っていた(スウェーデンの特許 Nos ⇒8.558/1897, ⇒10.177/1899, ⇒11.132/1899, ⇒11.487/1899 とドイツの特許 No.110.210 /1899)。さらにNi-Cd電池の特許も1つ持っていた。Swed.pat No. ⇒15.567/1899.[18]Edison Storage Battery Company

1901年、トーマス・エジソンはアメリカでNi-Feの特許と商業化を行い、Detroit ElectricやBaker Electricなどの電気自動車のエネルギー源として提供した。エジソンはニッケル・鉄の設計が「鉛板と酸を使った電池(鉛蓄電池)よりはるかに優れている」と主張していた[19]。いくつかの特許を持っている(アメリカ合衆国特許第 678,722号/1901, アメリカ合衆国特許第 692,507号/1902, ドイツ特許 No 157.290/1901)。

エジソンは自身の電池が内燃機関の始動に採用されず、また、電池が導入されてからわずか数年後に電気自動車が生産中止になったことに失望した。彼は1900年代初頭に好まれた輸送方式であった(ガソリンや蒸気に次ぐ)電気輸送のための電池として、この電池を開発した。エジソンの電池は当時使われていた鉛蓄電池よりもはるかに高いエネルギー密度を有し半分の時間で充電することができたが、低温では性能が低く高価であった。

Jungnerの業績はニッケル・カドミウム電池が生産される1940年代までアメリカではほとんど知られていなかった。50ボルトのニッケル・鉄電池は第2次世界大戦のドイツのV2ロケットの主要直流電源であり、4つのジャイロスコープに電力を供給する2つの16ボルト電池(磁気増幅器駆動のサーボ機構のために交流を供給するタービン発電機)とともに使われた。より小さなものはV1飛行爆弾に使われた(すなわち1946年のOperation Backfireの青写真)。

エジソンの電池はニュージャージー州イーストオレンジにあるEdison Storage Battery Companyによりおよそ1903年から1972年にかけて有益に作られた。1972年にこの会社はExide Battery Corporationに買収され、1975年に製造が中止された。この電池は鉄道信号、フォークリフト待機電力アプリケーションに広く使われていた。

ニッケル・鉄電池は5?1250Ahの容量で製造された。元のメーカーの多くは現在ではニッケル・鉄電池を製造していないが、新たな会社による生産がいくつかの国で始まっている。現代のニッケル・鉄電池の中のプレートの3つのバンク

電池板の活物質は多数の充填された管もしくはポケットに収容され、支持・導通フレームおよびグリッドにしっかりと取り付けられている。支持するものは管と良く電気的に接触している。グリッドは薄いシート鋼から打ち抜かれた上に補強幅を持つ軽い骨格フレームである。グリッドは他のすべての内部金属表面同様、腐食を防止するためにニッケルメッキされている。構成要素は電解質で覆われたままでなければならない。もし乾いてしまうと陰極板は酸化し非常に長い充電時間を必要とするからである[20]ニッケル・鉄電池の構成要素


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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