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出典検索?: "ニック・アダムス"
この項目では、俳優について説明しています。アーネスト・ヘミングウェイの小説に登場する架空の人物については「ニック・アダムス (架空の人物)」をご覧ください。
ニック・アダムス
Nick Adams
1960年宣伝写真
本名Nicholas Aloysius Adamshock
生年月日 (1931-07-10) 1931年7月10日
没年月日 (1968-02-07) 1968年2月7日(36歳没)
出生地 アメリカ合衆国ペンシルベニア州
死没地 アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズ
身長170 cm[1]
職業俳優
ジャンルテレビ・映画
活動期間1952年 - 1968年
配偶者キャロル・ニュージェント(英語版)(1959年 - 1968年) ※死別
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ニック・アダムス(Nick Adams、本名:Nicholas Aloysius Adamshock、1931年7月10日[2][3] - 1968年2月7日)は、アメリカ合衆国の俳優。セント・ピーターズ・カレッジ卒。
来歴
1931年、アメリカ合衆国ペンシルベニア州生まれ[2]。父親はウクライナ出身の炭鉱夫で、生活は貧しく、炭鉱宿舎で育った。
1936年、5歳の折に、家族とともにニュージャージー州へ移る。
1948年、17歳の折にニューヨークを訪れた際に映画関係者に出会い、舞台で1年間演技の勉強をする。
1949年、貧しさから逃れたいと、ヒッチハイクをしてロサンゼルスに出て、映画界にアプローチを重ねる。
1951年、ペプシ・コーラのTVコマーシャルでデビュー。主に脇役で活躍する。
1952年、徴兵により沿岸警備隊に配属される。
1955年、退役し、ワーナー・ブラザースと契約。『理由なき反抗』に脇役で出演、明るいキャラクターでスタッフの人気者となる。
1959年、テレビシリーズ『The Rebel』で主役デビュー。また、元子役の女優キャロル・ニュージェント(英語版)と結婚、後に2子をもうける。
1963年、『Twilight of Honor』での演技が評価され、第36回アカデミー賞で助演男優賞にノミネートされた[2]。
1965年、東宝に招かれ、『フランケンシュタイン対地底怪獣』、『怪獣大戦争』に出演。
1967年、再来日し、『国際秘密警察 絶体絶命』に出演。しかし、本国では低予算のB級映画への仕事が続き、思い悩んでいたという。
1968年2月7日、錠剤の過量摂取によって死亡(36歳)。過失によるか自殺か意見は分かれる。
人物・エピソード
高校時代、メジャーリーグのセントルイス・カージナルスにマイナー契約を持ちかけられるが、薄給を理由に断っている。
映画界で同期のジェームズ・ディーン[注釈 1]、エルビス・プレスリーとは、大の親友として知られる。ハリウッドでは、彼らとは同性愛関係にあったのではないかとの説が根強く囁かれている[要出典]。
日本映画でのエピソード
日本では、『フランケンシュタイン対地底怪獣』などの特撮映画への出演で特に知られる[3]。当時の「東宝新聞」[要文献特定詳細情報]では来日した彼について、「よく肥っており、明るい性格」とされ、撮影所では「ミフネ(三船敏郎)に会うのが夢だ」として、撮影所内を歩き回る姿が報じられている。日本語は出来なかったが[4]、本多猪四郎監督も、「非常に勘がよく、演出しやすい俳優だった」と述懐している。『怪獣大戦争』で日本語吹き替えがつけられる際には、共演者の土屋嘉男に三船が声を当てるよう頼んだという[5]。
同列のSF映画で日本に招かれたラス・タンブリンやジョゼフ・コットンなどのハリウッド俳優らが日本人スタッフと交わろうとせずに反発を受けたのに対し、ニックは積極的に交流を図り、共演者らにも人気があった[5][3][注釈 2]。日本文化にも興味を示し、日本食も進んで口にした。ダイエット中と言いながら日本食を食べまくっていたといい、ズボンのサイズが合わなくなり、『怪獣大戦争』の劇中で何度もズボンを引っ張り挙げる仕草が見られる。『フランケンシュタイン対地底怪獣』のロケでは、昼食を抜いてコーヒー1杯だけで済ませていたが、撮影中に倒れてしまい、その後豚汁を美味そうにすすっていたという[5]。
『怪獣大戦争』の際には、妻帯者であるにもかかわらず水野久美に映画の役柄そのままに「妻とは離婚するから、結婚しよう」としつこく迫ったという[5][7][8][注釈 3]。当時ニックは離婚協議の泥仕合の最中であり、後に娘のアリソンは、このことが帰国後、父の離婚の原因のひとつになったとコメントしている[要出典]。