ニシキゴイ
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「錦鯉」はこの項目へ転送されています。お笑いコンビについては「錦鯉 (お笑いコンビ)」をご覧ください。

ニシキゴイ
様々な体色を持つニシキゴイ
保全状況評価
観賞魚
Domesticated
分類

:動物界 Animalia
:脊索動物門 Chordata
亜門:脊椎動物亜門 Vertebrata
:条鰭綱 Actinopterygii
上目:骨鰾上目 Ostariophysi
:コイ目 Cypriniformes
:コイ科 Cyprinidae
亜科:コイ亜科 Cyprininae
:コイ属 Cyprinus
:コイ
C. carpio[1]

学名
Cyprinus carpio
(Linnaeus, 1758)
和名
ニシキゴイ[1]
英名
Japanese carp
nishikigoi
Koi

ニシキゴイ(錦鯉)は、 観賞魚用に改良したコイ(Cyprinus carpio) の品種の総称である[1]。色鮮やかな体色がにたとえられた。日本新潟県品種改良養殖が進み、国内各地への移入や海外への輸出が進んだ。「生きた宝石」「泳ぐ芸術品」とも呼ばれ、業界団体である全日本錦鯉振興会は日本の国魚と位置付けている[2]

野鯉(ノゴイ)もしくは真鯉(マゴイ)と呼ばれる日本の自然水域に生息する黒色のコイ(Cyprinus carpio) の養殖魚から人為選択によって鑑賞用に作出された品種である。ただしその形質はほかの家畜動物のように安定しておらず、数次にわたる選別を経て保たれている。なお、コイは近年東アジア型をキプリヌス・ルブロフスクス(Cyprinus rubrofuscus)として別種に区別する傾向にあり、錦鯉の学名も将来変わる可能性がある。

赤い鯉を緋鯉(ヒゴイ)、特に観賞魚として色彩や斑点など、体色を改良されたものを錦鯉(ニシキゴイ)という。特に錦鯉にはその模様によって多くの品種があり、紅白大正三色昭和三色、黄金、浅黄などがある。錦鯉は飼育用として人気が高く、斑点模様、色彩の鮮やかさ、大きさ、体型を価値基準として高額で取引されている。また、鱗が大きくて部分的にしかないドイツゴイも移入されている。これに対して、普通の黒色の鯉は真鯉(マゴイ)、烏鯉(カラスゴイ)または黒鯉(クロゴイ)、特に野生の鯉は野鯉とよばれる。なお、飼育型の鯉は尾びれの下半分が赤く染まっているものが多く見られる。

愛好者が多いアメリカ合衆国で小売りを行う日本企業や[3]、日本から輸入したニシキゴイを繁殖させて販売する中華人民共和国の事業者もいる[4]
歴史

日本では、長崎県壱岐島から中新世のコイ科の化石が発掘されている[5]。また、縄文時代弥生時代の遺跡から多数の鯉の咽頭歯が発掘されている[6]。たとえば、縄文時代早期(1万1500年前 - 7000年前)末の赤野井湾湖底遺跡からは現生種の鯉(Cyprinus carpioもしくはCyprinus rubrofuscus)のほかにも絶滅種のジョウモンコイ(Cyprinus sp.)の咽頭歯が発掘されている[7]。また、縄文時代中期(5500年前 - 4400年前)の粟津湖底遺跡からは鯉をはじめとして、現在日本に生息するコイ科魚類の6亜科すべての咽頭歯が発見されている[7]

縄文遺跡と弥生遺跡から発掘される鯉の咽頭歯のサイズから推定される体長分布には相違がある。具体的には弥生遺跡からは鯉の成魚以外に幼魚(体長150mm以下)も発見されている。これは縄文人が湖や川から鯉を採取していただけなのに対して、弥生人は水田の普及とともに原始的な鯉の養殖を行っていたことによる相違と考えられている[8][9]

以前は日本の鯉はすべて有史以前に中国からもたらされたと考えられていたが[10]、近年のミトコンドリアDNAの解析から、日本のノゴイには、在来コイ(野生種)とユーラシア大陸からのコイ(飼育型)の2種類がいることが判明している。しかし、大陸からのコイがいつ日本に伝来したのかは不明である[11]。有史以降、明治までの日本の外来魚導入の記録は中国からの金魚が最古(1502年、1602年頃)で[12]、鯉(錦鯉を含む)に関しては明治37年(1904年)のドイツゴイの導入まで記録がないからである[13]

日本書紀』の景行天皇4年条(74年)に、景行天皇が美濃国に行幸した際、池に鯉を放って鑑賞した様子が記されている。中国の西晋時代(4世紀)の崔豹『古今注』には、赤驥、青馬、玄駒、白騏、黄雉といった色の鯉が記されている[14]。また、深根輔仁『本草和名』(918年)には、漢名に対応する和名として赤鯉、青鯉、黒鯉、白鯉、黄鯉が記されており[15]、当時中国や日本にはこれらの色の鯉がいたと考えられる。『本朝食鑑』(1697年)には、赤黄白の三色の鯉がいると記されている[16]

しかし、こうした単色の鯉は現在の錦鯉のように人為選択によって作出された品種ではなく、突然変異による変色だったと考えられている[17]。鯉の突然変異による変色は自然界でも比較的見られるが、色の遺伝は不安定で選別にコストがかかり、貧しい農村での食用養殖には不向きだからである。現在の錦鯉のような観賞用養殖の場合、産卵数に対して優品の割合は1%以下である[18]山古志地区の棚田

一般的に、19世紀初期に「二十村郷」と呼ばれた現在の新潟県小千谷市と旧山古志村(現・長岡市山古志地域)にまたがる地域で食用として養殖していた真鯉の中から、突然変異した個体を人為選択して錦鯉の飼育が始まったと考えられている[19]。新潟県では、元和年間の末頃より蒲原郡結新田(現在の新潟市秋葉区)で食用の鯉の養殖を行っていた[20]。二十村郷でも遅くとも天明元年(1781年)までには棚田そばの棚池で鯉の養殖を行っていたが、その頃起こった大旱魃のため池が涸れ、東山村の仙龍神社および東竹沢村の十二神社の境内の池に鯉を避難させて難を逃れた[21]

文化文政の頃、二十村郷では真鯉のほかに緋鯉、白鯉を飼育し、両者を交配して赤白の色鯉を作出した。その後さらに研究を重ね完成度を高めた[22]。明治8年(1875年)頃には色鯉が大流行して飼育する者も増大し、高価な逸品も出したが、新潟県が投機的事業であると問題視して観賞用養殖を禁止したため、一時大打撃を被った。


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