(国旗)(国章)
1909年の領土
(黄緑のベラール地方は1853年からイギリス領)
公用語ウルドゥー語、テルグ語、カンナダ語、ペルシア語、マラーティー語
首都アウランガーバード、ハイダラーバード
ニザーム
1724年 - 1748年アーサフ・ジャー1世
1762年 - 1803年アーサフ・ジャー2世
1911年 - 1948年アーサフ・ジャー7世
面積
不明215,339km²
変遷
1724年シャカル・ケーダーの戦いによりムガル帝国から独立
1798年イギリスとの軍事保護条約により藩王国化
1948年ポロ作戦によりインドへと併合
ニザーム藩王国(ニザームはんおうこく、英語:Nizam of Hyderabad/Nizam Dominion)あるいはハイダラーバード藩王国(ハイダラバードはんおうこく、ヒンディー語: ???????? ?????、ペルシア語: ????????、ウルドゥー語: ????????、テルグ語: ????????? ????????、 Haiderabad State[1])は、インド、デカン地方に存在したイスラーム王朝(1724年 - 1948年)。 首都はアウランガーバード、ハイダラーバード。
1724年、ニザーム王国はムガル帝国の宰相カマルッディーン・ハーンにより創始され、歴代の君主は帝国から与えられた「ニザーム」の称号を名乗った。1798年より前はハイダラーバード王国あるいはニザーム王国、1798年以降は藩王国化したことでニザーム藩王国あるいはハイダラーバード藩王国となった。
イギリス植民地下においてはマイソール藩王国やジャンムー・カシュミール藩王国同様に広大な領土を持つ藩王国であり、ニザーム藩王国の領土面積はインド最大であった。また、イギリスが定めた藩王国の序列の筆頭に位置づけられ、藩王を迎える際の礼砲の発数は、独立国家の元首に準じた「21発」と規定されていた。 名称は研究者によってさまざまで、上記のほかにニザーム国、ニザーム政権、ハイダラーバードのニザームなど多数ある。また、創始者およびその子孫の称号をとって、アーサフ・ジャーヒー朝(Asaf Jahi dynasty)などといった呼び方もされる。 デカン・スルターン朝のひとつであるゴールコンダ王国(クトゥブ・シャーヒー朝)の王ムハンマド・クリー・クトゥブ・シャーが新都建設の際、寵姫バーグマティー
名称
歴史
前史
しかし、1605年にバーグマティーがムスリムに改宗し、ハイダル・マハル(Hyder Mahal)に改名するとその名にちなみ、「ハイダラーバード(ハイダルの都市)」(ペルシア語: ???? ???? - Haiderabad)と改名した。
その後、ムガル帝国の皇帝アウラングゼーブのデカン地方遠征(デカン戦争)により、1687年にゴールコンダ王国は滅ぼされ、ハイダラーバードも占領された。ゴールコンダ王国の旧領はハイダラーバード州として帝国の一州となった。
成立カマルッディーン・ハーン
1722年2月、ムガル帝国の貴族カマルッディーン・ハーンはその功績により、皇帝ムハンマド・シャーから宰相の地位を与えられた[2][3]。