ニコ・クラニチャール
FCディナモ・キエフに所属していた当時のクラニチャール(2012年)
名前
ラテン文字Niko Kranj?ar
基本情報
国籍 クロアチア
オーストリア
生年月日 (1984-08-13) 1984年8月13日(39歳)
出身地 ザグレブ
身長185cm[1]
体重80kg[1]
選手情報
ポジションMF
利き足右足
ユース
SKラピード・ウィーン
NKディナモ・ザグレブ
クラブ1
年クラブ出場(得点)
2001-2005 NKディナモ・ザグレブ 84 (19)
2005-2006 ハイドゥク・スプリト 50 (15)
2006-2009 ポーツマスFC 83 (9)
2009-2012 トッテナム・ホットスパーFC 72 (11)
2012-2016 FCディナモ・キエフ 13 (4)
2013-2015→ クイーンズ・パーク・レンジャーズFC (loan) 52 (4)
2016 ニューヨーク・コスモス 7 (1)
2016-2018 レンジャーズFC 16 (1)
通算353(61)
代表歴2
2000-2001 クロアチア U-16/1717 (8)
2001-2002 クロアチア U-197 (2)
2002-2005 クロアチア U-2115 (2)
2004-2013 クロアチア81 (16)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月28日現在。
2. 2013年10月15日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
ニコ・クラニチャール(Niko Kranj?ar 発音: [n??ko kra?t??a?r]
, 1984年8月13日 - )は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(現クロアチア)・ザグレブ出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。NKディナモ・ザグレブでデビュー後、2005年にライバルのハイドゥク・スプリトに移籍し[2]、国内の2つのビッグクラブでプレイを経験した。移籍は議論を呼んだが、2006年の夏にポーツマスFCに移籍し[3]、すぐにハイドゥク・スプリトを離れた。ポーツマスでは中心選手として活躍を続けたが[4][5][6]、2009年9月にポーツマスの監督を務めていたハリー・レドナップが指揮を執るトッテナム・ホットスパーFCへ移籍した[7]。
ロベルト・プロシネチキの後継者として脚光を浴び、父ズラトコが監督を務めていた2004年8月にA代表デビューを飾った[8]。以後、2006 FIFAワールドカップ、EURO2008、EURO2012と主要大会に3度出場した。
父がSKラピート・ヴィーンに所属していたため、幼少期をオーストリアで過ごしたクラニチャールはオーストリアのパスポートを所持している。そのため、EU圏内の選手と同じ扱いを受ける。 ユースのキャリアの大半をNKディナモ・ザグレブで送ったクラニチャールは、後に同クラブのトップチームで17歳の時に最年少で主将を務め、16歳でプルヴァHNL初出場を果たし、また最年少得点も記録した。デビュー年の2002-03シーズンはリーグとカップの2冠を達成し、翌シーズンもカップ戦のタイトルを獲得した[9]。そのような活躍からファンの人気を集め、フランス代表のジネディーヌ・ジダンと比較されるようにもなり[10]、また、新たなズボニミール・ボバンとも呼ばれるようになった[11]。 2005年初めにディナモ・ザグレブの経営陣と対立し、困難な状況に陥っている中でライバルであるハイドゥク・スプリトのスポーツディレクターのイゴール・シュティマッツ
経歴
クラブ
ディナモ・ザグレブ
ハイドゥク・スプリト
2006 FIFAワールドカップ後、世界中のメディアがクラニチャールを取り上げ、フランス1部のスタッド・レンヌやスペイン1部のセルタ・デ・ビーゴ等といったクラブが関心を示した。2006年8月にレンヌの移籍金450万ユーロのオファーをハイドゥクは断ったが、同日の31日に移籍金350万ポンド(520万ユーロ)でポーツマスFCと4年契約を締結した[13][14]。
ポーツマスポーツマスでのクラニチャール