この項目では、企業について説明しています。ロシアの聖職者については「ニーコン (モスクワ総主教)」をご覧ください。
株式会社ニコン
Nikon Corporation
ニコン本社(品川インターシティC棟)
種類株式会社
機関設計監査等委員会設置会社[1]
市場情報東証プライム 7731
株式会社ニコン(英: Nikon Corporation)は、日本の光学機器メーカー。カメラ、デジタルカメラ、双眼鏡、望遠鏡、顕微鏡、ステッパー、メガネ、測定機、測量機、光学素材、ソフトウェアなど光学関連装置の大手メーカーであり、三菱グループの一員。三菱金曜会[4] および三菱広報委員会[5] の会員企業である[6][7]。 現在の社名「ニコン(Nikon)」は、元は、戦後に参入した35 mmフィルムカメラの商品名ないしブランド名である(ニコンのレンジファインダーカメラ製品一覧#ニコンSシリーズを参照。後続のモデルとの区別のため現代では「ニコンI型」といわれることが多い)。アメリカ合衆国では「ナイコン」と発音されているが[注釈 1]、他では「ニコン」の発音が主流である[注釈 2]。
社名
社史ニコン大井製作所ニコンF(1959年)ニコンF2チタンニコンF801(1988年)ニコンAC-2Eデータリンクシステム(1993年)フルサイズミラーレス Z 7とZ 6
1917年(大正6年)7月 - 光学兵器の国産化を目的として、東京計器製作所光学部・岩城硝子製造所の反射鏡部門を統合し、岩崎小彌太の個人出資により「日本光學工業株式會社(日本光学工業株式会社、にっぽんこうがくこうぎょう)」を設立[8]。本社は東京計器製作所内[9]。
12月 藤井レンズ製造所を買収[10]。旧・藤井レンズの技術を承継し、民生用双眼鏡の製造を開始。
1921年(大正10年)1月 - ドイツ人技師8名を招聘し光学技術を向上させる[11]。
1923年(大正12年) - 東京砲兵工廠が関東大震災で被災したため、以降は大日本帝国陸軍向け光学兵器の開発も担当する[12]。設立当初は大日本帝国海軍系企業として、それまでは主に艦艇用光学兵器を開発していたが、ワシントン海軍軍縮条約の影響で、当時は経営不振となっていた本社の再建に繋がっている。
11月 - 狙撃銃用試製眼鏡(狙撃眼鏡)試作。
1930年代以降は陸軍造兵廠東京工廠(東京第一陸軍造兵廠)・東京光学機械(現・トプコン)・高千穂光学工業(現・オリンパス)・東京芝浦電気(現・東芝)・富岡光学器械製作所(後の京セラオプテック)・榎本光学精機(現・富士フイルム[注釈 3])などとともに主に日本軍の光学兵器を開発・製造する。なかでも陸軍系の企業である東京光学とは軍需光学機器製造の双璧として「陸のトーコー・海のニッコー」とも謳われていた。
1932年(昭和7年) - 写真レンズの商標を「ニッコール」(Nikkor)と決定[13][9]。
1933年(昭和8年) - 分隊長向け九三式双眼鏡
九一式高射装置完成。
1938年(昭和13年)2月 - 九七式狙撃銃用九七式狙撃眼鏡制式制定。
1941年(昭和16年)5月 - 九九式狙撃銃・短狙撃銃用九九式狙撃眼鏡完成。
倒分像立体視式十五米二重測距儀完成、戦艦大和に搭載。
1945年(昭和20年) - 太平洋戦争終結に伴い、主として民生品の生産に転換[14]。6×6 cm判二眼レフカメラ、35 mmカメラの製造を検討[15]。
1946年(昭和21年) - 35 mmカメラの名を「ニコン」(Nikon)と決定[16][17]。後にブランド名となる。
1946年 - 眼鏡レンズ「ポインタール」発売[17]。
1948年(昭和23年) - 「ニコン」(後に「ニコンI」と呼ばれる)を香港に初出荷。画面サイズは24×32 mm[18]のいわゆるニホン判。
1950年(昭和25年) - ライフ誌のデビッド・ダグラス・ダンカン、ハンク・ウォーカー(英語版)は、ニッコールを朝鮮戦争の取材に携行、ニューヨーク・タイムズにその優秀性を報告する[19]。
1951年(昭和26年) - 「ニコンS」を発売[20]。
1952年(昭和27年) - ニッコールクラブ設立[21][17]。
1953年(昭和28年) - 後に多くの日本製カメラを扱うようになるジョセフ・エーレンライク(英語版)が、アメリカ合衆国での販売を担当する[22]。
1954年(昭和29年) - 実体顕微鏡SM型[17]、レベルE型を発売。
1957年(昭和32年) - 「ニコンSP」を発売[17][20]。2016年現在では「ライカM3」にならぶ名機として高い評価を得ている。
1959年(昭和34年) - ライカ判一眼レフカメラ「ニコンF」を発売[17]。「ニコンSP」をベースに設計された、最初のプロ用一眼レフカメラ。このとき採用された「ニコンFマウント」は同社レンズの標準規格として以後使用され続けることになる。
1961年(昭和36年) - 8ミリカメラ「ニコレックス-8」を発売[23]。
1962年(昭和37年) - 国産初の大型天体望遠鏡「91cm反射望遠鏡」を東京天文台(現国立天文台)岡山天体物理観測所に設置。フォトマスク製作用レンズ「ウルトラマイクロニッコール105mmF2.8」を発売。ラ・スピロテクニーク(英語版)と技術提携。
1963年(昭和38年) - ラ・スピロテクニークのレンズ交換式水中カメラ、カリプソをほぼそのまま「ニコノス」として発売。
1964年(昭和39年) - 陸上自衛隊に64式7.62mm狙撃銃用の狙撃眼鏡(アメリカ製M84のコピー品)を納入。
1968年(昭和43年) - 創立50周年を記念して銀座三丁目にニコンサロンを開設。
1971年(昭和46年) - ライカ判一眼レフカメラ「ニコンF2」発売[17]。世界初の一眼レフ用オートフォーカスレンズ「AFニッコール80mmF4.5」を試作。精密光波測距装置「MND-2」発売[17]。
1974年(昭和49年) - 東京天文台木曾観測所に「105cm シュミット式望遠鏡」設置。
1980年(昭和55年) - 日本初のLSI製造用ステッパー「NSR-1010G」を発売[24]。
ライカ判一眼レフカメラ「ニコンF3」発売[24]。
「ニコンF3」を元にしたスペースシャトル用ライカ判一眼レフカメラをNASAに納入[24]。
1982年(昭和57年) - カラービデオカメラ「S-100」を発売。