ニコラス・レイ
Nicholas Ray
レイとザ・ザ・ガボール(1953年)
本名Raymond Nicholas Kienzle
生年月日 (1911-08-07) 1911年8月7日
没年月日 (1979-06-16) 1979年6月16日(67歳没)
出生地ウィスコンシン州
国籍 アメリカ合衆国
職業映画監督、脚本家、俳優
配偶者ジーン・エヴァンス (1930年 - 1940年)
グロリア・グレアム(1948年 - 1952年)
ベティ・ユーティ(1958年 - 1966年)
スーザン・レイ(1969年 - 1979年)
著名な家族アンソニー・レイ
ニコラス・レイ(Nicholas Ray、本名=レイモンド・ニコラス・キンズル・ジュニア、1911年8月7日 - 1979年6月16日)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州出身の映画監督、脚本家、俳優である。1950年代アメリカ映画の巨匠であり、ヌーヴェルヴァーグの作家たちから尊敬を受けた監督として知られる。 フランク・ロイド・ライトの下で建築を学んだが、数ヶ月で決別。ニューヨークで左翼演劇活動に参加する。 太平洋戦争が始まると戦争情報局の仕事につき、ラジオ番組や宣伝映画などの制作を通して、エリア・カザンやジョン・ハウスマンなどの映画人と交流するようになり、ハウスマンのすすめでRKOに就職、1947年にデビュー作『夜の人々』を監督するが、ハワード・ヒューズがRKOを買収したために、このデビュー作は1949年まで公開が延期された。 RKOがヒューズの支配下に入ったのちも同社に留まり、未完成映画の追加撮影や共同監督にも立ち会わされることになるが、ヒューズの政治力によって1940年代末に吹き荒れた赤狩りのハリウッド・ブラックリストからは逃れることとなる。 1950年代にフリーになると、主題歌が世界的なヒットとなった西部劇『大砂塵』や、ジェームズ・ディーン主演の『理由なき反抗』などの名作・話題作を連発し、『理由なき反抗』ではアカデミー原案賞にもノミネートされた。しかし、アルコール依存症やそれに伴う奇行、体調不良に悩まされるようになる。環境問題を描いた異色西部劇『エヴァグレイズを渡る風』では完成まで立ち会うことを許されず、『暗黒街の女』を最後にハリウッドを離れ、ヨーロッパで活動するようになる。 1960年代に入ると、ヨーロッパ資本による大作の監督を任されるようになるが、『北京の55日』の撮影時に心臓発作を起こして、商業監督からの引退を余儀なくされる。 1972年にニューヨーク大学の講師に就任。学生たちとビデオや16ミリフィルムなどで映画を制作する。1978年、レイを私淑するヴィム・ヴェンダース監督と共同で『ニックス・ムーヴィー水上の稲妻
略歴
エピソード
女優のグロリア・グレアムなど、生涯に4回結婚と離婚を繰り返している。最初の妻ジーンとの間に生まれた息子アンソニーは後にグロリア・グレアムの4番目の夫になっている。
『エデンの東』当時、ワーナー・ブラザース撮影所内でエリア・カザンとレイの事務所は隣り同士だった。