ニコラス・ブルディッソ
アルゼンチン代表でのブルディッソ (2011年)
名前
本名ニコラス・アンドレス・ブルディッソ
Nicolas Andres Burdisso
愛称ニコ
ラテン文字Nicolas BURDISSO
基本情報
国籍 アルゼンチン
イタリア
生年月日 (1981-04-12) 1981年4月12日(43歳)
出身地アルトス・デ・チピオン
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
金2004 アテネサッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
ニコラス・アンドレス・ブルディッソ(Nicolas Andres Burdisso, 1981年4月12日 - )は、アルゼンチン・コルドバ州アルトス・デ・チピオン出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。 1981年4月12日にブルディッソ家の長男として生まれる。父エニオは小学校の校長を務め、母ベアトリスは小学校の教師という家庭環境にあって、幼少年期は学校の旗手を頻繁に務める成績優秀な学生であった[1]。弟のギジェルモもプロのサッカー選手として活躍している。 地元のサッカークラブで競技生活をスタートさせ、周囲からの薦めもあって14歳の時にニューウェルズ・オールドボーイズに入団。やがてニューウェルズは深刻な財政難に陥り、下部組織の寮生活を賄えなくなると、ニコラスは首都に拠点を置くボカ・ジュニアーズに入団した。 ボカ入団後は長く試練のときが続き、出場機会を得ることのできない日々が続いた。一方で当時トップチームの監督を務めていたカルロス・ビアンチは入団当初から評価しており、1999年10月に18歳という若さながらトップチームへ昇格させた。 この抜擢の後、ブルディッソは成長を遂げ、19歳で既にチームの主力選手として3冠達成に貢献。ボカでの目覚ましい活躍は、ホセ・ペケルマン率いるU-20アルゼンチン代表入りを促し、地元アルゼンチンで開催されたFIFAワールドユース選手権に出場すると、決勝トーナメント以降に不動のレギュラーに定着し、世界制覇の原動力となった。 この頃から欧州の中堅クラブからオファーが届くようになるが、移籍はしない考えを貫き、2003年1月には初のA代表入りを果たし、同年に自身2度目となるボカでの3冠を達成した。 2004年7月1日、満を持してインテルナツィオナーレ・ミラノに移籍。しかし、同年に当時1歳の娘アンジェリーナが白血病に冒され、半年間娘の看病に専念することを決意した。2005年9月にアンジェリーナの病気は完治し、ブルディッソ自身もインテルに復帰。半年間実戦から遠ざかっていたが、インテルは代役を探すこともせず早速メンバー入りを果たした。 2006年には「逆転招集」と言われる形で2006年ドイツW杯のアルゼンチン代表メンバーに入り、グループリーグ全3試合に右SBとして出場した(第3戦のオランダ戦で負傷し、ベスト16以降は出番なし)。2007年3月7日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント、バレンシアCF戦後の乱闘騒ぎでは相手DFダビド・ナバーロに鼻を殴られ、骨折する怪我を負った。 その後はインテルでは主に控えとしてすごし、2009年8月22日に出場機会を求めASローマへレンタル移籍した。ローマでは不調のフィリップ・メクセスに代わりレギュラーとなり、インテルとの優勝争いをしたチームに貢献した。
経歴
生い立ち
ボカ・ジュニアーズ時代
インテル時代
ローマ時代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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