ニコラス・カルドア
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この項目では、印欧語族風に、名前を名姓順で表記していますが、ハンガリー語圏の慣習に従いカールドル・ミクローシュと表記することもあります。(Template:ハンガリー人の姓名)

ニコラス・カルドアポスト・ケインジアン

生誕 (1908-05-12) 1908年5月12日
オーストリア=ハンガリー帝国
ハンガリー王国
ブダペスト
死没

1986年9月30日(1986-09-30)(78歳)
イギリス
イングランド
ケンブリッジシャー、Papworth Everard
国籍 イギリス
研究機関LSE
欧州経済委員会
ケンブリッジ大学
研究分野政治経済学
母校LSE
影響を
受けた人物ジョン・メイナード・ケインズ
影響を
与えた人物ジョーン・ロビンソン
Anthony Thirlwall
実績カルドア=ヒックス効率
カルドアの成長法則
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ニコラス・カルドア、カルドア男爵(Nicholas Kaldor、Baron Kaldor、1908年5月12日 - 1986年9月30日)は、ハンガリー生まれのイギリス経済学者。ハンガリー名はカールドル・ミクローシュ(Kaldor Miklos)。ナイトを授与され「サー・カルドア」とも、一代貴族としてカルドア男爵に叙されたため「カルドア卿」とも呼ばれる。目次

1 略歴

2 人物

3 日本語訳著書

3.1 単著

3.2 共著


4 関連項目

5 外部リンク

略歴

1908年
ハンガリーブダペストにおいて、父親は弁護士である裕福なユダヤ人家庭に生まれる。2人の息子が亡くなり、娘が1人残されているところに誕生した。

1914年 6歳から学校に通い始める。

1918年 10歳でブダペスト大学の管理するモデル・ギムナジウムに移った。

1925年 ベルリン大学で18か月(1925年10月?1927年春)学ぶ。

ハンガリーの新聞の外国派遣通信員として働く。

1927年 イギリスに渡る。当初は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスLSE)で学位を取るつもりはなく、ジャーナリストの仕事も行っていた。

1930年 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE) を卒業。ライオネル・ロビンズの推薦によりresearch studentになる。

1932年 講師補(Assistant)となる。

1934年 Clarissa Goldsmith(Goldschmidt)と結婚。

1935年 - 1936年 Rockefeller Research Fellowshipを与えられハーバード大学へ行く。

1941年 LSEの講師となる。

1942年 LSEのリーダー准教授)となる。

第2次世界大戦中は、国民所得会計の整備やベヴァリッジ・レポートの立案などの仕事を行う。

1947年 LSEに休暇願を出すも許可されず、辞任の上欧州経済委員会研究・計画局の局長につく(2年半)。


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