ニコラウス・フォン・ジャカン
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ニコラウス・フォン・ジャカンの肖像画

ニコラウス・フォン・ジャカン(Nikolaus Joseph Freiherr von Jacquin または Baron Nikolaus von Jacquin、1727年2月16日 - 1817年10月26日)は、シェムニッツ(バンスカー・シュチャヴニツァ)の学校やウィーン大学植物学教授になった植物学者である。
生涯

オランダ共和国ライデンに生まれた。ライデン大学医学を学んだがその後、パリそしてウィーンに移り住んだ。1755年から1759年にかけてウィーンのシェーンブルン宮殿動物園を造った神聖ローマ皇帝フランツ1世によって、珍しい動物植物鉱物の採集のために、西インド諸島中央アメリカに派遣された。1763年にシェムニッツ(現在のバンスカー・シュチャヴニツァ)の学校の化学鉱物学の教授に任じられ、1768年にはウィーン大学の化学と植物学の教授に任じられ、ウィーン大学植物園の園長を務めた。これらの業績から1774年に爵位を受け、1783年にスウェーデン王立科学アカデミーの外国人会員に任じられた。1788に王立協会フェロー選出。1806年に公爵となった。

ジャカンの子供のエミル・ゴットフリートと、フランツィスカは、モーツァルトの友人として知られる。モーツァルトは、ゴットフリートの名前で発表された2つの曲を作曲し、フランツィスカのピアノのレッスンを行った。モーツァルトの作品のいくつかはジャカン家で初めて演奏された。

また別の息子のヨーゼフ・フランツ・フォン・ジャカンはニコラウスの後をついでウィーン大学の植物学の教授となり、何冊かの植物学の本を出版した。

テオフラスタ科の属名Jacquiniaやラン科の種名Jacquiniellaに命名されている。
ジャカンの著書の画像








Jacq.は、植物の学名命名者を示す場合にニコラウス・フォン・ジャカンを示すのに使われる。(命名者略記を閲覧する/IPNIでAuthor Detailsを検索する。)
著書

Enumeratio systematica plantarum (1760), ⇒[1]

Enumeratio Stirpium Plerarumque (1762)

Selectarum Stirpium Americanarum (1763), ⇒[2]

Observationum Botanicarum ( ⇒part 1 1764, ⇒part 2 1767, ⇒part 3 1768, ⇒part 4 1771)

Hortus Botanicus Vindobonensis (3 volumes, 1770?1776) 図版はFranz Anton von Scheidel, ⇒[3]

Florae Austriacae (5 volumes, 1773?1778), ⇒[4]

Icones Plantarum Rariorum (3 volumes, 1781?1793), ⇒[5]

Plantarum Rariorum Horti Caesarei Schoenbrunnensis (4 volumes, 1797?1804), ⇒[6]

Fragmenta Botanica 1804?1809 (1809), ⇒[7]

Nicolai Josephi Jacquin collectaneorum supplementum ...

Oxalis :Monographia iconibus illustrata

Dreyhundert auserlesene amerikanische Gewachse nach linneischer Ordnung (ヨハネス・ツォルンと共著)

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ニコラウス・フォン・ジャカンに関するカテゴリがあります。

Digitalisierte Werke von Nicolaus Joseph Jacquin

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