ニコシア
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この項目では、キプロスの首都について説明しています。イタリアコムーネについては「ニコジーア」をご覧ください。

ニコシア市
レフコシャ市
Λευκωσ?α
Lefko?a

ニコシア市街


市旗

位置

ニコシアの位置(キプロス島)
位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ニコシアニコシア (キプロス)キプロスの地図を表示ニコシアニコシア (地中海東海岸)地中海東海岸の地図を表示ニコシアニコシア (レバント海)レバント海の地図を表示ニコシアニコシア (中東)中東の地図を表示

座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度10分 東経33度21分 / 北緯35.167度 東経33.350度 / 35.167; 33.350
行政
キプロス
北キプロス
 地区ニコシア地区
 市ニコシア市
レフコシャ市
地理
面積 
  市域111 km2
人口
人口(2011年現在)
  市域310,355人
その他
等時帯東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
公式ウェブサイト : ⇒Nicosia Municipality(キプロス)

北レフコシャ
北ニコシア
en:North Nicosia

行政
北キプロス
 地区レフコシャ地区
 市北レフコシャ
北ニコシア
人口
人口(2011年現在)
  市域61,378人
その他
等時帯東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)

ニコシア(: Nicosia [?n?k??si??])は、キプロス共和国首都北キプロス・トルコ共和国[注釈 1]の政庁所在地でもある。地元では、ギリシャ語でレフコシア(ギリシア語: Λευκωσ?α Lefkosia [lefko?si.a])、トルコ語でレフコシャ(トルコ語: Lefko?a [lef?ko?a])と呼ばれている。
歴史

古代にはレドラ(Ledra、Ledrae)と呼ばれた都市国家であった。その王が紀元前672年アッシリア王国の王エサルハドンに朝貢した記録がある。プトレマイオス1世の息子レフコスによって街は再建されるも、さほど重要な都市ではなかった。10世紀には、レフコシャとして都となり、パフォスサラミスなど海岸線にある都市からの避難民で、この内陸都市の人口が増す。フランク人によって建国されたキプロス王国1489年ヴェネツィアの支配下に入り、次いで1571年にはオスマン帝国の版図となる。ニコシアという外名は、十字軍によって用いられたものである。

1570年のオスマン帝国の侵攻では20,000人の犠牲者を出した。19世紀は、1821年のオスマン帝国の弾圧、1835年コレラ1857年の大火などを経験した。1878年大英帝国がキプロスを傘下に収めると、その首都として成長した。

1960年の独立前には反イギリス闘争の過程で、血で血を洗う惨事が続いた。ギリシャ併合強硬派によるクーデターを支援するギリシャ軍事政権に対抗して、1974年7月20日にトルコ系住民の保護を目的としたトルコ軍のキプロス出兵の結果、町の北側を支配するトルコ系の北キプロス・トルコ共和国と、南側を支配するギリシャ系のキプロス共和国(独立以来のギリシャ系主導のキプロス政府であり国際的に承認されたキプロス国家を代表する)に分断された形になっており、北キプロスもニコシアを首都としている。複数の国によって同じ都市が首都とされる唯一の例となっている。

グリーンライン(南北分断線)は、1974年のトルコ軍のキプロス出兵以降、国際連合によってひかれた緩衝地帯となっており、南側のキプロス共和国側からに限り北側への通行が可能であったが、2004年より南北間の通行については、検問所の増設ならびに自由化がなされた。南北キプロスに駐留する国連軍部隊の姿もしばしば目にする。
地理

キプロス島中北部にあり、付近に肥えたメッサオリア平野(ギリシア語版、英語版)がある。小麦ブドウオリーブ、牛、羊などの農畜産物の集散加工がおこなわれ、また皮革繊維タバコなどの工業もおこなわれる。
気候

ニコシアの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)22
(71)22
(72)25
(77)32
(89)38
(100)46
(115)45
(113)46
(114)43
(109)34
(94)28
(83)23
(73)46
(115)
平均最高気温 °C (°F)14
(58)15
(59)18
(65)23
(74)28
(83)32
(90)34
(94)35
(95)31
(88)27
(81)22
(72)17
(62)26
(78)
平均最低気温 °C (°F)6
(42)6
(42)7
(44)10
(50)16
(60)18
(65)21
(69)21
(69)18
(65)14
(58)11
(51)7
(45)13
(55)
最低気温記録 °C (°F)?4
(24)?5
(23)?2
(28)1
(34)4
(39)7
(45)9
(48)7
(44)3
(37)?1
(30)?3
(26)?6
(22)?6
(22)
降水量 mm (inch)74
(2.9)51
(2.0)33
(1.3)20
(0.8)28
(1.1)10
(0.4)0
(0.0)0
(0.0)5
(0.2)23
(0.9)43
(1.7)76
(3.0)366
(14.4)
出典:[1]

交通

ニコシア国際空港は、1974年7月に国連管理下に置かれて以降は使われていない。旅客ターミナルをはじめとする多くの空港設備、当時駐機していたキプロス航空ホーカー・シドレー トライデントなどが当時そのままに放置されている。

ギリシャ側では、ラルナカ国際空港が最寄の空港となる。

トルコ側では市の東方にあるエルジャン空港があり、キプロス・トルコ航空による北キプロスへのゲートウェイとなっているが、トルコとアゼルバイジャンを除き国際的に承認された「国際空港」ではない。

市内交通はバスが主体で、鉄道は現在はない。
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