ナンド・ローリア
[Wikipedia|▼Menu]

ナンド・ローリア
Nando Lauria
生誕 (1960-05-11)
1960年5月11日(64歳)
出身地 ブラジル レシフェ
ジャンルブラジル音楽ジャズニューエイジ・ミュージック
職業ミュージシャン
担当楽器ギター、ボーカル
活動期間1980年代 -
レーベルナラダ・プロダクション
共同作業者パット・メセニー・グループ

ナンド・ローリア(Nando Lauria、1960年5月11日 - )は、ブラジルの歌手およびギタリストである。
略歴

7歳のとき、ローリアはヴィオラオ(ブラジルのアコースティックギター)を手にした。彼は兄がバンドでエレクトリック・ギターを弾く音楽一家に育った。ローリアは、彼らのコンサートに行き、ヴィオラオを弾き自宅で彼らの姿を真似していた。若者の時分は、ビートルズや1970年代のブラジルの人気ミュージシャンの音楽を繰り返し聴いていた。彼は自分で音楽の要素を学び、和音を演奏することを学んでいった。そして自分の音楽の発見を即興で楽しむことを学んだ。

12歳のとき、彼は多くの学校制作に参加し、地元のテレビや劇場で観られるようになった。15歳のとき、彼はブラジルの「アベルトゥーラ」音楽祭に参加し、ギターデュオのバーニア&カルティエを賞賛した。フェスティバルの他のミュージシャンには、ミルトン・ナシメント、クラブ・ダ・エスキーナ、イヴァン・リンスジャヴァンエグベルト・ジスモンチがいた。16歳で初めて「Jangadeiro」を作曲し、これが彼の作曲家志望に影響を与えたとされている。

1978年、ローリアはボーカル・グループ「Boca Livre」の影響を受けたバンド「Nos e Voz」を結成した。このバンドとともに彼はブラジル中で演奏した。1980年、20歳のとき、地元の音楽アカデミー、ペルナンブコ音楽院の授業を受けるようになった。1983年には、ブラジル政府からアメリカのバークリー音楽大学に留学するための助成金を受けた[1]。彼は、音楽、調和、対位法、耳のトレーニング、映画制作など多くのジャンルを研究した。1987年にプロフェッショナル・ミュージックの学士号を取得して卒業している。

ブラジルに戻るローリアの計画は、1988年にパット・メセニー・グループとのコンサートに招待されたときに変わることとなった[1]。彼らは一緒に、マサチューセッツ州ケンブリッジのナイト・ステージ・クラブで一連のコンサートを行った。1993年に彼はナラダ・レコードと契約し、ライル・メイズダニー・ゴットリーブが参加したアルバム『Points of View』[2](1994年)と、アルバム『Novo Brasil』[1](1996年)をリリースした。曲はすべてローリアによる作曲とプロデュースがなされ、アルバムは『ビルボード』誌のコンテンポラリー・ジャズ・チャートに登場している。彼の音楽はアメリカ、カナダ、ヨーロッパ、南アメリカ、アジアで演奏された[3]。ローリアは、フュージョン・バンド「スペシャルEFX」でキエリ・ミヌッチともコラボレーションを行った[1]
ディスコグラフィ
ソロ・アルバム

Points of View (1994年、Narada)
[2]

Novo Brasil (1996年、Narada)[1]

パット・メセニー・グループ

ザ・ウェイ・アップ』 - The Way Up (2005年、Nonesuch)[3]

脚注[脚注の使い方]^ a b c d e “ ⇒Nando Lauria - Novo Brasil 1996” (Portuguese). ZonadeJazz.com (2008年2月20日). 2016年6月27日閲覧。
^ a b Webber, Brad (1994年8月25日). “ ⇒Nando Lauria Points of View: Brazilian Jazz (Narada...”. Chicago Tribune. 2016年6月27日閲覧。
^ a b Shearn, CJ (2006年10月22日). “Pat Metheny Group: The Way Up - Live”. All About Jazz. 2016年6月27日閲覧。

外部リンク

ナンド・ローリア
- Discogs










パット・メセニー・グループ

パット・メセニー | ライル・メイズ | スティーヴ・ロドビー | アントニオ・サンチェス | クオン・ヴー | グレゴア・マレ | ナンド・ローリアマーク・イーガン | ダニー・ゴットリーブ | ナナ・ヴァスコンセロス | ペドロ・アスナール | ポール・ワーティコ | アーマンド・マーサル | デヴィッド・ブラマイヤーズ | マーク・レッドフォード | ルイス・コンテ | リチャード・ボナ
ディスコグラフィ

パット・メセニー・グループ (1978年) | アメリカン・ガレージ (1980年) | オフランプ (1982年) | トラヴェルズ (1983年) | ファースト・サークル (1984年) | コードネームはファルコン (1985年) | スティル・ライフ (1987年) | レター・フロム・ホーム (1989年) | ザ・ロード・トゥ・ユー (1993年) | ウィ・リヴ・ヒア (1995年) | カルテット (1996年) | イマジナリー・デイ (1997年) | スピーキング・オブ・ナウ (2002年) | ザ・ウェイ・アップ (2005年)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:14 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef