この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。詳しくは馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。
ナリタハヤブサ
欧字表記Narita Hayabusa[1]
品種サラブレッド[1]
性別牡[1]
毛色鹿毛[1]
生誕1987年4月28日[1]
死没2003年2月27日(16歳没)
父ナグルスキー
ナリタハヤブサ(欧字名:Narita Hayabusa、1987年4月28日 - 2003年2月27日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1990年のウインターステークス、1991年のウインターステークス、フェブラリーハンデキャップ、1992年の帝王賞。1991年度のJRA賞最優秀ダートホースに選出された。
競走馬時代
特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[2]
1989年9月10日、阪神競馬場での新馬戦でデビューし、3着。2戦目で初勝利を挙げる。しばらくは勝ち星を挙げられなかったが、4歳に入ってきさらぎ賞3着を経てペガサスステークス、スプリングステークスと連続で2着に入り、牡馬クラシック第一冠の皐月賞に出走するが、12着。続くNHK杯も8着に終わる。その後も4戦芝のレースに使われたが、蹄が非常に脆かったために、芝に比べて負担のかからないダート路線への転向が図られる[3]。初ダート戦となったウインターステークスでは6番人気ながらカリブソングを破って、さらにレコードタイムで重賞初制覇を達成。1991年初戦のフェブラリーハンデキャップもレコードタイムで制して重賞2連勝を達成する。その後しばらくは2着を二度記録するも勝てない競馬が続いたが、年末のウインターステークスで前年達成のレコードタイムを自ら更新して2連覇を達成。また、1991年度のJRA賞最優秀ダートホースに選ばれた。
1992年を迎え、60キロの斤量を背負ったフェブラリーハンデと仁川ステークスは3着、4着に終わったものの、マンジュデンカブト、ラシアンゴールドとともに中央競馬代表で出走の帝王賞では、ラシアンゴールドと1着同着優勝を達成した[4][5]。続く武蔵野ステークスもトップハンデの60.5キロの斤量を背負いつつ1分34秒5のレコードタイムで勝利、このタイムは2001年の武蔵野ステークスでクロフネが更新するまで、東京競馬場のダート1600メートルのレコードタイムとして維持された[6]。その後は1993年の中京記念で2着に入ったほかは勝てず、ウインターステークスの3連覇もチェリーコウマンに阻まれた[7]。1993年の帝王賞8着を最後に公営新潟競馬・向山勝厩舎に移籍し、移籍初戦から3連勝を達成したが、1995年4月の三条競馬場の仲春特別で競走を中止し、これが最後のレースとなった。
装蹄はディープインパクトやエアグルーヴ、そしてクロフネの装蹄も務めた西内荘が担当しており、西内は後に「今の自分の技術で装蹄することができたら、メジロマックイーンのライバルになれたかも知れない」との評価を送っている[3]。 以下の内容は、JBISサーチ[2][8]およびnetkeiba.com[9]に基づく。 年月日競馬場競走名格距離(馬場)頭数枠番馬番オッズ(人気)着順タイム
競走成績
(上り3F/4F)着差騎手斤量
[kg]勝ち馬/(2着馬)
1989.09.10阪神3歳新馬芝1600m(良)143304.3(2人)3着01:37.3 (50.5)-0.2岡潤一郎52スーパートライ
0000.10.01阪神3歳新馬芝1600m(良)1471101.5(1人)1着01:36.8 (48.6)-0.8武豊52(タマモハヤト)
0000.10.28京都もみじSOP芝1600m(良)107802.7(1人)6着01:36.3 (48.5)-0.5武豊53ツルマルミマタオー
0000.12.02阪神エリカ賞400芝2000m(良)77701.9(1人)2着02:02.2 (48.5)-0.4武豊54グランドゴールド
0000.12.23阪神千両賞400芝1600m(良)154702.2(1人)2着01:37.2 (49.7)-0.6武豊54シンシノブ
1990.02.11阪神きさらぎ賞GIII芝2000m(不)125605.8(3人)3着02:04.9 (51.2)-0.8武豊55ハクタイセイ